2002年02月の記事


Black magic woman
一ヶ月間聴きなれたカルロス・サンタナのこの曲とも今夜でお別れである。

先月のスティービー・ワンダーの「スーパースティション」に劣らず夜な夜なの僕の気分を支えてくれた。

ワンループだけだが、それでもページを開くたびだから、100回以上は聴いているはずである。

HPのBGMを変えるたびに、子供がそのメロディーを覚えてしまって、ときどき口ずさんでいるのを耳にすると、とてもうれしい。

あすから三月、なににしようか思案中である。
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JASRAC
 Chiakiy さんのところでこんな文面を見つけた。そのことで彼女は結構怒っていた。

 『2001.07.01 から JASRAC により 個人HPのMIDI使用についても 課金が適用されます』

 新法では、『 』ということであるらしい。けれども僕はそんなことは知らない。流している曲のCDやレコードのほとんどは買ったものだし、レンタルしてMDやカセットテープにとったものでもレンタル料を払っている。むろんMIDIは、どなたかのMIDIファイルからの借り物である。

 大衆が集まる場所でよくCDを流しているのを耳にする。スーパーでの一般の催しでもスピーカーから適当に流しているではないか。

 取り締まるべき労力は海賊版に注がれるべきであり、個人のメロディーだけのHPを締めつけたって何の特にもなりはすまい。個人は他人のHPでいい音楽を聴いて、逆に気にいったならその音楽を買おうとさえするだろう。

 僕はそんな課金のことなど気にはしない。取りたければうちにまで取りにくればいい。どうせ払いはしないだろうが、払ったところでたかが知れている。JASRACさん、お好きにしてください。

 そういえば、邦楽で重宝させてもらっていたサイトが次々とクローズされている。クラシックなど著作権が切れているので関係ないと思うのだが、それさえもなくなってしまった。でも、海外の人たちはちっともそんな影響をうけていない。僕は最近敢えてMIDIのリンク集を増やしている。

ミディさんよ負けるな一茶(yoursong)これにあり
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アネモネ (キンポウゲ科)
   Anemone

 アネモネにまつわる悲話がギリシャ神話のなかにある。アフロディーテ(ビーナス)は、わが子エーロス(キューピッド)の誤って射た矢が胸に当たり、、美少年アドニスに恋するようになった。このアドニスが、猟に出てイノシシの牙に脇腹を刺されて死んでしまった。アフロディーナが駆けつけたとき、流れ出た血が地面にこぼれ、アネモネの花になったというのである。

 この話には異説もあって、アネモネではなくアドニスが咲いたとする説や、アドニスの血にアフロディーナの涙が混じり、赤いバラの花になった、という説もある。

 これらの神話にまつわる話などから、ヨーロッパでは古くから好まれて栽培されてきた植物のひとつである。五月末にアムステルダムを訪れたとき、色とりどりのアネモネが、花市でたくさん売られていた。切花としてとても愛好されているということだった。
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オリンピック考
 ソルトレイクオリンピックでの日本選手たちの惨敗は、戦わずして決まっていたように思える。日本を出発する際の抱負は、「楽しんできます」 が多かった。

 もとよりオリンピック精神は、「参加することに意義がある」だった。それがいつの間にか国別のメダル争いに変わり、さらには商業主義に変遷していった。メダルさえとれば、一生が保証されている種目だってあるほどだ。

 今回の日本選手団の派遣は、純粋なオリンピック精神に則っているといえなくもないが、どう見ても多勢なだけである。厳しいようだが、結果が伴わないのにあまりに楽しんでもらってはこちらが面白くない。

 選手団には強化の段階から国家の費用が投入されている以上、選手たちには必死で競技する義務が伴う。「楽しんできます」という言葉には、最初から勝てないでしょうと言っているように聞こえるのだ。自分にのしかかる重圧に耐えてこそ、勝利の喜びがもたらされると、私は思っている。

 競技を終えていちばん無念の表情をしていたのが、わずかの差で優勝を逃した清水選手だった。事前の不調を覆して、素晴らしい健闘を見せてくれた清水選手には心から拍手を送りたい。だが、敗れた悔しさをかみしめている選手よりも、気の抜けたような笑顔を見せている選手が多いのにうんざりさせられてしまう。

 シドニー五輪では、韓国チームに敗れたプロ野球の中村選手が悔しさに涙していた。プロとして出場した彼らに金銭欲など全くなかった。これまでプロとして培ってきたプライドのようなものが、彼らを必死で戦わせた。自国を背負った重圧とも戦いながら、精一杯のプレーをした。それが敗戦での悔し涙となったのだ。

 
 私はゴルフが好きだ。海外で転戦しているプロ選手には、公費が支給されるわけでもなく、交通費、宿泊費、プレー代などすべてが自費負担だ。さらにキャディーさんには手当てを払わなくてはならない。二日間の予選で落ちれば、一円にもならない。その一週間は全くの赤字だ。野球選手なら、けがをして休んでいても年俸は保証されているが、彼らはそういうわけにも行かない。自分が戦って、決勝ラウンドに勝ち残ってこそいくらの世界なのだ。だから、彼らはいつもハングリーだ。

 試合に出られるプロは、現役プロの中で二パーセントにも満たない。賞金がでるトーナメントに出るだけのために、彼らは自費を使って何度も予選会を勝ち抜かねばならない。

 アマチュアの試合では、個々人のプレーに公費など一切使われない。公費は大会の運営と彼らの名誉に使われるだけなのだ。アマチュアは、日本オープンなどプロの競技で入賞しても一円ももらえない。ゴルフは自己責任のスポーツとも言われるが、全くにすべてが自己負担なのだ。

 ゴルフがオリンピック種目に加えられないのは、実に不可解なことだと思う。世界中の競技人口からいっても、老若男女を問わないスポーツという観点からいっても、ずっと以前に加えられていて当然だと思うのだが。競技人口のおそろしく少ない、わけのわからない、面白くも何ともない種目をふやしてみたってしかたがない。メダルの数をふやすのにはちょうど都合がいいのだろう。

 ゴルフには審判の判定やら、疑惑ある採点などというものがない。あくまで自分がボールを打ったスコアがすべてであり、他者が介在して手をくわえることが決してできない、自然の中でのスポーツなのだ。敵は自分であり、天候であり、味方もまた同じなのである。「風の声を聴け!」
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hyacinthus orientalis  
    ヒヤシンス (ユリ科)

 
 ヒヤシンスは、早春に太い花茎を出し、甘い芳香をもった、六枚の花被片からなる小花を、総状に多数つける。開花期が長く、寒さにも強いので花壇植えにも適する。また、鉢植えや水栽培にして室内で楽しむことができるので、変わらない人気をもっている。

 属名のヒアキントゥスは、ギリシャ神話のアポロンに愛された美少年ヒアキントゥスに由来したものである。ある日、二人が円盤投げに興じていたとき、西風の神ゼピュロスがこれをねたみ、アポロンの投げた円盤を、風でヒアキントゥスの頭に打ちつけて殺してしまう。その頭から流れた血の中から咲き出たのが、このヒアシンスだったという。


 ヒアシンスの球根は大きい。水さえあれば、十分に花を咲かせるだけの養分を持っている。ヒアシンスと訊けば、小学生の頃の水栽培を思い出す。透明な容器の中に根がいっぱいにはり、教室の南の窓際で色とりどりの花が咲いていたことを思い出す。

 今日、この部屋の窓際で、三年生の二男が栽培している、ピンクのヒヤシンスが花を咲かせた。学校から帰ってきたとき、それを見つけた子供の笑顔がとてもかわいかった。
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年齢のギャップ
 ぼくがいちばん年齢のギャップを感じるのは、ポップスでもなく、芸能人でもなく、もちろん肉体でもない。

 ぼくは少年のころ、漫画少年だった。近所の書店のおばさんに子供がいなかったので、ぼくはたいそうかわいがられて、好きなだけ漫画の本を読ませてもらったものだ。

 そのぼくが、今の世間でいちばん知識がないのが漫画なのである。漫画だけは読んでいないと自分のなかに知識として入り込んでこない。

 もう今さら読む気はおこらないが、漫画の話を訊くたびに、ぼくはその人たちと年齢のギャップを感じてしまう。少年のころ、ぼくは誰よりも漫画少年だったからだ。
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Tulipa gesneriana  (ユリ科)
 左のチューリップは、晩咲きグループのひとつで、コテージ系のビリディフローラという。淡黄色で花被片の中筋に緑が入る珍しい品種だ。

 世界中で最もたくさん栽培され、愛されている花といえばチューリップだろう。チューリップの発祥の地はトルコで、16世紀にはすでに多くの品種が作られ愛好されていたという。

 チューリップがトルコからヨーロッパへ紹介されるようになったのは、16世紀になってからであるが、アラブ諸国ではそれ以前から栽培されていた。チューリップをトルコからヨーロッパに紹介したのは、神聖ローマ帝国皇帝フェルナンド一世の大使としてトルコに派遣されたブスベックである。

 彼は植物学者でもあって、球根や種子をウィーンに持ち帰り、有名な園芸家クルシウスに送った。クルシウスはウィーンの王室菜園の管理官であったが、このほかにも多くの品種のチューリップの導入を図り、1593年にオランダのライデン大学の植物学教授に迎えられてからは、地元の農家に栽培させてその普及に努めた。今日のオランダが、チューリップの大産地になったのは彼の功績であった。

 その後、今日に至るまで、ヨーロッパを中心に数々の品種改良が行なわれ、現在では14グループ、15系統に分類されている。チューリップの品種は、古いものを合わせると、約8000品種もあるといわれているが、最近のオランダで出版されたリストによると、約2500品種が挙げられている。

 みなさんはチューリップが種子から育つことをご存知だろうか? 種子が採れてこそ、交配が可能なのである。いろいろな色と品種、それらを交配して採れた種を育てて、数年ののち球根が育ち、新たな花が咲いてくる。
 花が散ったのち、花弁のあとに実のようなものがなっているのに気づいたことはないだろうか。あの実のなかには、およそ300の小さな種が入っている。秋にその種をまくと芽が出てくるが、球根が育つまでかなりの日数を要する。ありきたりのガーデニングでは難しいが、種からチューリップを咲かせることにチャレンジしてみるのも、なかなかの楽しみだと思うのだが・・・・・・・。

 私はチューリップにおいては、まだその栽培を一度もやったことがない。その方法でシクラメンとグラジオラスを咲かせたことはあるのだが。日本は夏が暑いので、ウィルスに汚染されやすい。素人ではウィルスの判断はできないから、ウィルスのないチューリップの種を購入しようと思っている。うまく咲かすことができたなら、いつかこの場で紹介しようとも思っている。
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悪魔の舌  「村山槐多作」
 著者について:1896.9.15-1919.2.20

 わずか22歳で夭折した画家槐多は、京都府立第一中学校在籍中多数の詩や小説、戯曲などを創作した。何度か日本美術院賞などを受賞するが、物質的困窮と放埓な生活によりもたらされた結核性肺炎に苦しみ、ある風雨の夜、無謀にも家を飛び出しやがて草叢で見つかるが衰弱著しく、「白いコスモス」「飛行船の物憂き光」という謎めいた言葉を残して死んだ。翌年に刊行された山崎省三他編「槐多の歌へる」(アルス社大正9年)により、画業以外の面でも広く認知されることとなった。
 
 「悪魔の舌」は彼が中学在籍中に回覧雑誌に掲載されたものである。


 (一)

 五月始めの或晴れた夜であつた。十一時頃自分は庭園で青い深い天空に見入つて居ると突然門外に当つて『電報です。』と云ふ声がする。受取つて見ると次の数句が記されてあつた、『クダンサカ三〇一カネコ』『是は何だらう。三〇一と云ふのは。』実に妙に感じた。金子と云ふのは友人の名でしかも友人中でも最も奇異な人物の名であるのだ。『彼奴は詩人だから又何かの謎かな。』自分は此不思議な電報紙を手にして考へ始めた。発信時刻は十時四十五分、発信局は大塚である。どう考へても解らない。が兎に角九段坂まで行つて見る事にし着物を着更へて門を出た。

 吾住居から電車線路までは可成りある。その道々自分はつくづくと金子の事を考へた。丁度二年前の秋、自分は奇人ばかりで出来て居る或宴会へ招待された際、彼金子鋭吉と始めて知合になつたのであつた。彼は今年二十七歳だから其時は二十五歳の青年詩人であつたが、其風貌は著るしく老けて見え、その異様に赤つぽい面上には数条の深い頽廃した皺が走つて居、眼は大きく青く光り、鼻は高く太かつた。殊に自分が彼と知己になるに至つた理由は其唇にあつた。宴会は病的な人物ばかりを以て催された物であつたから、何れの来会者を見ても、異様な感じを人に与へる代物ばかりで、知らない人が見たら悪魔の集会の如く見えたのであるが、其中でも殊に此青年詩人の唇が自分には眼に着いた。

 彼は丁度真向に居たから、自分は彼を思ふ存分に観察し得た。実に其唇は偉大である。まるで緑青に食はれた銅の棒が二つ打つつかつた様である。そして絶えずびく/\動いて居る。食事をする時は更に壮観である。熱い血の赤色がかつた其銅棒に閃めくと、それは電光の如く上下に開いて食物を呑み込むのである。実にかゝる厚い豊麗な唇を持つた人を見た事のない自分は、思はず暫らく我を忘れて其人の食事の有様に見惚れた。突然恐ろしい彼の眼はぎろつと此方を向いた。すつくと立ち上つて彼はどなつた。『おい君は何故そうじろじろと俺の顔ばかり見るんだい。』『うん、どうもすまなかつた。』我にかへつて斯う云ふと彼は再び坐した。『人にじろ/\見られるのは兎に角気持が善くないからな、君だつてさうだらう。』斯う云つて彼はビールの大杯をぐつと呑み乾して、輝かしい眼で自分を見た。『さうだつた、僕はだが君の容貌に或興味を感じた物だから。』『有難くないね、俺の顔がどうにしろ君の知つた事ではあるまいではないか。』彼は不機嫌な様子であつた。『まあ怒るな仲直りに呑まう。』かくして彼金子鋭吉と自分とは相知るに至つたのである。

 彼は交れば交る程奇異な人物であつた。相当の資産があり父母兄弟なく独りぼつちで居る。学校は種々這入つたが一も満足に終へなかつた。それ等の経歴は話す事を厭がつて善く解らないが要するに彼は一詩人となつた。彼はまつたく秘密主義で自分の家へ人の来る事を大変厭がるから如何なる事をしつゝあるのか全然不明であるが、彼は常に街上を歩いて居る。常に酒店(バー)や料理屋に姿を見せる。さうかと思ふと二三箇月も行方不明になる。正体が知れぬ。自分は最も彼と親密にし彼もまた自分を信じて居たが、それでも要するにえたいの知れない変物とよりほか解らなかつた。

 (二)

 かゝる事を思ひつゝいつしか九段坂の上に立つた。眺むれば夜の都は脚下に展開して居る。神保町の燈火が闇の中から溢れ輝いて、まるで鉱石の中からダイヤモンドが露出した様である。自分は坂の上下を見廻はした。金子が多分此処で自分を待ち合はして居るんだらうと思つたのである。が誰も其らしい物は見えなかつた。大村銅像の方をも捜して見たが人一人居ぬ。約三十分程九段坂の上に居たが遂に彼の家に行つて見る事にした。彼の家は富坂の近くにある。小さいが美麗な住居である。家の前へ来ると警官が出入りして居る。驚ろいて聞くと金子は自殺したのだと云ふ。すぐ飛び込んで見ると六畳の室に金子が友人二三人と警察の人々とに囲まれて横たはつて居た。火箸で心臓を突刺して死んだのである。二三度突き直した痕跡がある。其顔は紫白色を呈して居るがさながら眠れる様である。医師は泥酔で精神錯乱の結果だらうとした。自殺者の身体には甚だしい酒精の香があつた。時刻は今し方通行者が苦痛の唸声を聞きつけてそれから騒ぎになつたのだ。

 何の遺書もなかつた。が自分にはさつきの電報が一層不思議になつた。時刻から考へると金子はあの電報を打つて帰るとすぐ死んだ物らしい。自分はそつとまた九段坂の上へとつてかへして考えた。電報の三〇一と云ふ数字は何を意味するのであらう。九段坂の何処にそんな数字が存在して居るのであらう。見廻して見るに何もない。ふと気が付いた。九段坂の面積中で三百以上の数字を有つて居る物は一つしかない。それは坂の両側上下に着いた溝の石蓋である。そして始め上から見て右手の方の石蓋を下へ向つて数へ始めた。そして第三百一番目の石蓋をよく調べて見たが何も別段異状はない。殊に依ると此は下から数へた数かも知れない。石蓋は全部で三百十枚ある。だから上から数へて十枚目が下から数へて三百一枚に当る。駆け上つて其石蓋をよく見ると上から十枚目と十一枚目との間に何だか黒い物が見える。引出して見ると一箇の黒い油紙包である。『是だ是だ。』と其を掴むや宙を飛んで家へ帰つた。

 包みを解くと中から一冊の黒表紙の文書が表はれた。読み行く中に自分は始めて彼金子鋭吉の正体を眼前にした。その正体こそ世にも恐ろしい物であつた。『彼は人間ではなかつた。彼は悪魔であつた。』と自分は叫んだ。読者よ、自分はこの文書を今読者の前に発表するに当つて尚未だ戦慄の身に残れるを感じるのである。以下は其文書の全文である。

 (三)

 友よ、俺は死ぬ事に定めた。俺は吾心臓を刺す為に火箸を針の様にけづつてしまつた。君がこの文書を読む時は既に俺の生命の終つた時であらう。君は君の友として選んだ一詩人が実に類例のない恐ろしい罪人であつた事を以上の記述に依つて発見するであらう。そして俺と友たりし事を恥ぢ怒るであらう。が願はくば吾死屍を憎む前に先づ此を哀れんで呉れ、俺は実に哀む可き人間であるのだ。さらば吾汚れたる経歴を隠す所なく記述し行く事にしよう。俺は元元東京の人間ではない。飛騨の国の或山間に生れ其処に育つた。吾家は代々材木商人であり父の代に至つては有数の豪家として附近に聞こえた。父は極く質朴な立派な人物であつたが壮時名古屋の一名妓を入れて妾とした、その妾に一人の子が出来た。其が俺であつた。俺が生れた時既に本妻即ち義母にも子が一人あつた。不倫な話であるが父は本妻と妾とを同居せしめた。従つて子供達も一所に育てられた。俺が十二歳になつた時義母には四人の子があつた。そして其年の四月にまた一人生れた。その弟は奇体な赤ん坊として村中の大変な噂であつた。それは右足の裏に三日月の形をした黄金色の斑紋が現はれて居るからである。

 或る日赤ん坊を見たその旅の易者は、「此の子は悪い死様をする。」と言つたさうだ。今思ふと怪しくも此の予言は的中した。俺も幼心に赤ん坊の足の裏の三日月を実に妙に感じた。其時はまた俺にとつて実に忘れ難い年であつた。それは父が十月に急に死んだ事であつた。父は遺言書を作つて置いて死んだ。俺と母とは一万円を貰つて離縁された。家は三つ上の長男が継ぐことになつた。父は親切な人であつたから、俺等母子(おやこ)の幸福を謀つて斯く遺言したのである。事実に於て母と義母との間には堪へざる暗闘があつたのであつた。義母が家の実権を握れば吾母の迫害せられることは火を見るよりも明かであつた。そこで吾等二人は父の葬儀が終ると直に東京に出て来た。それ以来俺は一度も国へ帰らず又国の家とは全然没交渉になつてしまつた。二人は一万円の利子で生活する事が出来た。母は芸妓気質の塵程も見えぬ聡明な質素な女であつた。

 十八歳の時彼女は死んだ。以後俺唯一人暮し遂に詩人としての放埒な生活を営むに至つた。是が吾経歴の大体である。この経歴の陰に以下の恐ろしい生活が転々と附きまとうて居たのであつた。俺は幼少から真に奇妙な子であつた。他の子供の様に決して無邪気でなかつた。始終黙つて独り居る事を好み遊ばうともしなかつた。山の方へ行つてはぼんやりと岩の蔭などに立つて空行く雲を眺めて居た。このロマンチツクな習癖は年と共に段々病的になつて、飛騨を離れる二年ばかり前の年であつた。半年ばかり私は妙な病気に悩んだ。其は背すぢが始終耐らなくかゆくてだるいのである。そして真直に歩く事が出来ず身体が常に前へのめつて居る。血色は悪くなり身体は段々痩せて来た。母は大変に心配して種々な療法を試みたが其内いつしか癒つてしまつた。その病中俺は奇妙な事を覚えてしまつた。其は妙に変つた尋常でない物が食べたいのである。始めは壁土を喰ひたくて耐らぬので人に隠れては壁土を手当り次第に食つた。そのまた味が実に旨い。殊に吾家の土蔵の白壁を好んだ。恐ろしい物で俺が喰つて居る内厚い壁に大きな穴が開いてしまつた。それから俺は人の思ひ及ばぬ様な物をそつと食つて見る事に深い興味を覚えて来た。人嫌ひで通つて居る事がかゝる事柄を行ふのに便利であつた。幾度かなめくぢをどろ/\と呑み込んだ。蛙蜿はもとより常に食つた。是れ等は飛騨辺りではさう珍らしくもないのである。それから裏庭の泥の中からみゝずや地蟲を引きずり出して食べた。春はまた金や紫や緑の様々の毒々しい色をした劇しい臭気を発する毛蟲いも蟲の奇怪な形が俺の食慾を絶えまなく満たしたのである。唇が毛蟲に刺されて真赤にはれ上つたのを家人に見つけられた事もある。其他あらゆる物を喰つた。そして又中毒した事がなかつた。此奇妙な癖は益々発達しさうに見えたが、母と共に東京へ出て都会生活に馴らされて自然かゝる悪習は止んだ。

 (四)

 然るに丁度十八歳の冬母の死んだ時節は悲哀に耐へなかつた。悲しさ余つて始終泣いて居た。元来虚弱な身体は忽ち劇しい神経衰弱に侵されてしまつた。まるで幽霊の様に衰へてしまつた。そして小さい時の脊椎の病がまた発して来た。俺は此ではならないと思つて二十歳の時丁度在学した中学校を退いて鎌倉へ転地した。かくて鎌倉に居たり七里ケ浜、江の島に居たりして久しく遊んだ。散歩したり海水を浴びたりして暮して居た。その内に身体は段々と変化して行つた。久しく都会の喧騒の中に居た物が俄に美しい海辺に遊ぶ身となつたのだから吾身も心も段々と健康になつて行つた。本然に帰つて来た。嘗て飛騨の山中に独りぼつちを悦んで居た小童の心は再び吾に帰つたのであつた。或日の夕方の時俺はこの一箇月ばかり食物が実に不味(まず)いことをつく/″\と考へて見た。海水浴から帰つて来る空腹には旅館最上位の食事が不味いと云ふ筈はないのだ。俺は鏡に向つた。青白かつた容貌は真紅になつた。ぼんやりして居た眼玉は生き生きと輝き出した。斯かる健康を得ながら、何故物が旨く喰へないのかしらん。舌を突き出してふと鏡の面に向けた。その刹那俺は思はず鏡を取り落したのである。俺の舌は実に長い。恐らく三寸五分もあらうと云ふのだ。全体いつの間にこんなに延びたのか知ら、そして又何と云ふ恐ろしい形をした舌であらう。俺の舌はこんな舌であつたか。否々決して此んな舌ではない。が鏡を取つてよく見ると、やはり紫と錦との鋭い疣が一面にぐりぐり生えた大きな肉片が唾液にだら/\滑りながら唇から突き出して居る。しかも尚よく見ると、驚くべき哉、疣と見たのは針である。舌一面に猫のそれの如く針が生えて居るのであつた。指を触れて見れば其はひり/\するばかり固い針だ。かゝる奇怪な事実がまた世にあらうか。俺はまた以上に驚愕した事は鏡の中央に真紅な悪魔の顔が明かに現はれて居るのであつた。恐ろしい顔だ。大きな眼はぎら/\と輝いて居る。俺は驚きの為一時昏迷した。途端鏡中の悪魔が叫ぶ声が聞こえた。『貴様の舌は悪魔の舌だ。悪魔の舌は悪魔の食物でなければ満足は出来ぬぞ。食へすべてを食へ、そして悪魔の食物を見つけろ。それでなければ。貴様の味覚は永劫満足出来まい。』しばらく俺は考へたがはつと悟つた。『よしもう棄鉢だ。俺はあらゆる悪魔的な食物をこの舌で味はひ廻らう。そして悪魔の食物と云ふ物を発見してやらう。』鏡を投げると躍り上つた。『さうだ。この一箇月に舌がかくも悪魔の舌と変へられてしまつたのだ。だから食物が不味かつたのだ。』[#底本には、このカッコ閉じなし]新らしい、まるで新らしい世界が吾前に横たはる事となつた。すぐ俺は今までの旅館を出た。そして鎌倉を去り伊豆半島の先の或極めての寒村に一軒の空家を借りた。そして其処で異常な奇食生活を始めた。事実針の生えた舌には尋常の食物は刺激を与へる事が出来ぬ。俺は吾独自の食物を求めなくてはならなくなつたのだ。二箇月ばかりその家で生活した間の食物は土、紙、鼠、とかげ、がま、ひる、いもり、蛇、それからくらげ、ふぐであつた。野菜は総てどろ/\に腐らせてから食つた。腐敗した野菜のにほひと色と味とをだぶ/\と口中に含む味は実に耐らなく善い物であつた。是等の食物は可なりの満足を俺に与へた。二箇月の後吾血色は異様な緑紅色を帯び来つた。俺は段々と身体全部が神仙に変じ行く様に感じた。其中に、不図『人肉』は何うだらうと考へ出した。さすがにこの事をおもつた時、俺は戦慄したが、この時分から俺の欲望は以下の数語に向つて猛烈に燃え上つたのである。『人の肉が喰ひたい。』それが丁度去年の一月頃の事であつた。

 (五)

 それからと云ふ物はすこしも眠れなくなつた。夢にも人肉を夢みた。唇はわな/\と顫へ真紅な太い舌はぬる/\と蛇の様に口中を這ひ廻つた。其欲望の湧き上る勢の強さに自分ながら恐怖を感じた。そして強ひて圧服しようとした。が吾舌頭の悪魔は『さあ貴様は天下最高の美味に到達したのだぞ。勇気を出せ、人を食へ、人を食へ。』と叫ぶ。鏡で見ると悪魔の顔が物凄い微笑を帯びて居る。舌はます/\大きくその針はます/\鋭利に光り輝いた。俺は眼をつぶつた。『いや俺は決して人肉は食はぬ。俺はコンゴーの土人ではない。善き日本人の一人だ。』が口中にはかの悪魔が冷笑して居るのだ。かゝる耐へ難い恐怖を消す為には始終酔はなければならなかつた。俺は常に酒場(バー)に入浸つてどうかして一刻でも此慾望から身を脱れようとした。が運命は決して此哀れむべき俺を哀れんで呉れなんだ。

 忘れもしない去年の二月五日の夜であつた。酔つて酔つぱらつて浅草から帰りかけた。その夜は曇天で一寸先も見えぬ闇黒は全部を蔽うて居た。この闇黒を燈火の影をたよりに伝ふ内、いつの間にやら道を間違へてしまつた。轟々たる汽車の響にふと気づくと、いつの間にか日暮里ステーシヨン横の線路に俺は立つて居る。俺は踏切を渡つた。坂を上つた。そして日暮里墓地の中へ這入り込むとそのまゝ其処に倒れてしまつた。ふと眼を開けると未だ深々たる夜半である。マツチをすつて時計を見ると午前一時だ。俺は大分醒めた酔心地にぶらぶらと墓地をたどつた。突然片足がどすんと地へ落ち込んだ。驚いてマツチをすつて見ると此処は共同墓地で未だ新らしい土まんぢゆうに足を突つ込んだのであつた。その時一条の恐ろしい考へがさつと俺の意識を確にした。俺は無意識にすぐ棒切を以つて其土まんぢゆうを掘り出した。無暗に掘つた。狂人の様に掘つた。遂には爪で掘つた。小一時間ばかりで吾手は木の様な物に触つた。『棺だ。』土を跳ね除けて棺の蓋を叩き壊はした。そしてマツチをすつて棺中を覗き込んだ。

 その時その刹那ばかり恐ろしい気持のしたことは後にも前にも無かつた。マツチの微光には真青な女の死顔が照らし出された。眼を閉ぢて歯を喰ひ縛つて居る。年は十九許りの若い美しい女だ。髪の毛は黒くて光がある。見ると黒血が首にだく/\と塊まり着いて居る。首は胴からちぎれて居るのだ。手も足もちぎれたまゝで押し込んである。戦慄は総身に伝つた。が此はきつと鉄道自殺をした女を仮埋葬にしたのだらうと解るとすこし戦慄が身を引いた。俺はポケツトからジヤツクナイフを出した。そして女の懐へ手を突つ込んだ。好きな腐敗の悪臭が鼻を撲つ。先づ苦心して乳房を切り取つた。だらだらと濁つた液体が手を滴たり伝つた。それから頬ぺたを少し切り取つた。この行為を終へると俄かに恐ろしくなつて来た。『どうする積りだ、お前は。』と良心の叫ぶのが聞えた。しかし俺はしつかり切り取つた肉片を、ハンカチーフに包んだ。そして棺の蓋をした。土を元通りかぶせると急いで墓地を出た。俥をやとつて富坂の家へ帰りついた。

 家へ這入るとすつかり戸締りをしてさてハンカチーフから肉を取り出した。先づ頬ぺたの肉を火に焼いた。一種の実にいゝ香が放散し始めた。俺は狂喜した。肉はじり/\と焼けて行く。悪魔の舌は躍り跳ねた。唾液がだく/\と口中に溢れて来た、耐らなくなつて半焼けの肉片を一口にほほばつた。此刹那俺はまるで阿片にでも酔つた様な恍惚に沈んだ。こんな美味なる物がこの現実世界に存在して居たと云ふことは実に奇蹟だ。是を食はないでまたと居られようか。『悪魔の食物』が遂に見つかつた。俺の舌は久しくも実に是を要求して居たのだ。人肉を要求して居たのだ。あゝ遂に発見した。次に乳房を噛んだ。まるで電気に打たれたやうに室中を躍り廻つた。すつかり食ひ尽すと胃袋は一杯になつた。生れて始めて俺は食事によつて満足したのであつた。

 (六)

 次の日俺は終日掛かつて俺の室の床下に大きな穴を掘つた。そして板で囲つた。人間の貯蔵室を作つたのである。ああ此処へ俺の貴い食物を連れて来るのだ。それがら吾眼は光つて来た。町を歩いてもよだればかり流れた。会ふ人間会ふ人間は皆俺の食慾をそゝる。殊に十四五の少年少女が最も旨さうに見えた。何だがさう云ふ子に会ふとすぐ食ひ付いてしまひさうで仕様がなかつた。がどんな方法で食物を引つ張つて来ようか、まづ麻酔薬とハンカチーフをポケツトに用意した。これで睡らしてすぐ引つ張つて来る事にした。

 四月二十五日、今から十日ばかり前の事である。俺は田端から上野まで汽車に乗つた。ふと見ると吾膝と突き合はして一人の少年が坐して居る。見ると田舎臭くはあるが、実に美麗な少年である。吾口中は湿つて来た。唾液が溢れて来た。見れば一人旅らしい。やがて汽車は上野に着いた。ステーシヨンを出ると少年は暫らくぼんやりと佇立して居たがやがて上野公園の方へ歩いて行く。そして一つのベンチに腰を掛けるとじつと淋しさうに池の端の灯に映る不忍池の面を見つめた。

 見廻はすと辺りには一人の人も居ない。己れはそつとポケツトから麻酔薬の瓶を出してハンカチーフに当てた。ハンカチーフは浸された。少年はぼんやりと池の方を見て居る。いきなり抱き付いてその鼻にハンカチーフを押し当てた。二三度足をばた/\させたが麻薬が利いてわが腕にどたり倒れてしまつた。すぐ石段下まで少年を抱いて行つて俥を呼んだ。そして富坂まで走らせた。家へ帰ると戸をすつかり閉ざした。電燈の光でよく見れば実に美しい少年だ。俺は用意した鋭利な大ナイフを取り出して後頭部を力を籠めてグサと突刺した。今まで眠つて居た少年の眼がかつと大きく開いた。やがてその黒い瞳孔に光がなくなり、さつと顔が青くなつた。俺は真青になつた少年を抱き上げて床下の貯蔵室へ入れた。

 (七)

 俺は出来得る限り細かくこの少年を食つてしまはうと決心した。そこで一のプログラムを定めた。俺はそれから諸肉片を順々に焼きながら脳味噌も頬ペたも舌も鼻もすつかり食ひ尽した。その美味なる事は俺を狂せしめた。殊に脳味噌の味は摩訶不思議であつた。そして飽満の眠りに就いた翌朝九時頃眼が覚めると又たらふく腹につめ込んだ。

 あゝ次の日こそは恐ろしい夜であつた。俺が死を決した動機がその夜に起つたのだ。実に世にも残酷な夜であつた。その夜野獣の様な眼を輝かして床下へ下りて行つた俺は、今夜は手と足との番だと思つた。鋸を手にして何れから先に切らうかと暫らく突つ立つて居た。ふと少年の左の足を引いた。其拍子に、少年の身体は俯向きになつた。その右足の裏を眺めた時俺は鉄の捧で横つ腹を突飛ばされた様に躍り上つた。見よ右足の裏には赤い三日月の形が現はれて居るではないか。君は此文書の最初に吾弟の誕生の事が記されてあつたのを記憶して居るであらう。考へて見ればかの赤ん坊はもう十五六歳になる筈だ。恐ろしい話ではないか。俺は自分の弟を食つてしまつたのだ。気が付いて少年の持つて居た包みを解いて見た。中には四五冊のノートがあつた。それにはちやんと金子五郎と記されてあつた。是は弟の名であつた。尚ノートに依つて見ると弟は東京を慕ひ、聞いて居た俺を慕つて飛騨から出奔して来たことが分明(わか)つた。あゝ俺はもう生きて居られなくなつた。友よ俺が書き残さうとした事は以上の事である。どうぞ俺を哀れんで呉れ。

 文書は此で終つて居た。字体や内容から見ても自分は金子の正気を疑はざるを得なかつた。金子の死体を検査した時その舌は記述の通り針を持つて居たが、悪魔の顔と云ふのは恐らく詩人の幻想に過ぎまい。
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ボトムズ
 アメリカ探偵作家クラブ(MWA) 最優秀長編賞受賞作、ジョー・R・ランズデールの「ボトムズ」を読んでいる。早川書房のハードカバーだ。むろん初版本だが、作者が描いた恐怖の原風景がカバーとなっていて、興味をそそられて買ってしまった。

 まだ三分の一しか読んでいないが、今週中には読み終えることだろう。

 少々あらすじを書いてみる。

 暗い森に迷いこんだ11歳のハリーと妹は、夜の闇の中で何物とも知れぬ影に追いまわされる。ようやくたどり着いた河岸で二人が目にしたのは、全裸で、体じゅう切り裂かれ、イバラの蔓と有刺鉄線で木の幹にくくりつけられた、無残な黒人女性の死体だった。地域の治安を預かる二人の父親は、ただちに犯人捜査を開始する。だが、事件はこの一件だけではなかった。姿なき殺人鬼が、森を、そして小さな町を渉猟しているのか?森に潜むといわれる伝説の怪物が犯人だと確信したハリーは、密かに事件を調べる決心をするー――


 感想を乞うご期待である。
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老人の死
 昨日、約100メートル南の家が火事で全焼した。消防車のサイレンとともに、灰色の煙が我が家にも押し寄せてきた。ひどく焦げ臭い匂いで、その猛火が想像できた。

 焼跡から一人の老人が焼死体で発見された。一人暮らしで足が不自由だったという。年齢89歳、一人で天理教分教会を取りしきっていた。

 教会兼自宅の大きな屋敷は屋根が崩れ落ちるほどに燃え尽きていて、その焼跡は猛火による惨状を道ゆく人たちに知らしめている。

 時々は信者の方たちがお世話をしていたらしいが、なにぶん不自由な体での一人暮らしだ。失火の原因を突きとめたところで、死に至った老人の哀れさはどうしようもない。

 元旦に新しく作りなおされた分教会の表示板が、煤ひとつつけずに残っている。炎が玄関にだけ及ばなかったのだ。真新しく削られた木の肌と墨汁で書かれた教会の文字だけが、黒焦げになった屋敷の前でぽつりと立っている。

 彼は炎に包まれたとき、何を思っていたのだろうか? ひとりの孤独な老人の死は、神さまがお迎えになったものだろうか? 私はその老人のことを全く知らなかった。
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GaiaX 二周年の日
 ヤフーでホームページというものを検索していたとき、見つけたのがdreamcity というGaiaX のコミュニティー。誰でも簡単に作れるということで、面白半分に入会したのが2000年2月11日。

 PCをさわりはじめの僕にはちっとも簡単じゃなかった。ログを辿っていくと、画像があったり、音楽が流れていたりして、その不思議さに面食らったものだった。

 そのうちいろんな人と知り合いになって、ジオを倉庫代わりにすることや写真の二枚重ねなどというテクニックを教わった。

 それからホームページ作成法やHTMLハンドブックなるものを買ってきて、ちんぷんかんぷんな勉強をしたものだった。おまけに近所の高校生に頼んで、学割がきくIBMのホームページビルダーを買ってきてもらったりした。

 でも、いろいろとテクニックを駆使しようとするほど、わからないことがふえつづけてきて、やっぱり僕にはシンプル・イズ・ベストだった。途中でさすらいタウンに引っ越したが、そんなことで僕は今夜、GaiaX二周年を迎えた。

 その間、ログ数などではたいていの人には及びもつかないが、文字の数だけをとってみれば、それなりのランキングに名前を連ねているような気さえする。いまのところ、その集大成が、2001年1月1日に作成したMy HP「The White Album」だ。現状、プロバイザーのOCN提供のDISK容量(10MB)の半分を使ってしまっている。

 当初より知り合った人たちのほとんどが、今では行方知れずだ。リンクしている人たちの中で、初期の頃からのおつきあいの人は数えるほどしかない。

 僕は日記と言ったって、あまり自分自身のことを書かないから、実際の日記とはいえないのかも知れない。普段の生活を書いていても、すぐに脚色を加えるから、ときには読者のかたに誤解を招くことがある。

 これまでの人生で日記なるものを書くことなど、(書こうと一念発起することは何度もあったが)三日坊主でしかあったことはない。それがなんと二年も続いたというのだから、それはみなさんがたのご支援の賜物というほかはない。

 舞台俳優が、ミュージシャンが、プロフェッショナルなスポーツ選手が、観客なしでどれだけやる気が起こるだろうか? 一人の人間が、ほかの人とのコミュニケーションなしで楽しくすごすことができるだろうか?

 ホームページなるものは、交互にメンバーとゲストの役割を担いあって成り立っている。あるときは自分が舞台の主人公で、あるときは自分が観客となる、そんな関係が僕にはベストだと思っている。そして、お気に入りのかたができたとして、度々の交歓はメールでやるのがいいと思っている。

 複数のメンバーのオフ会なるものを知ったとき、それは奇妙な気分になったものである。そして、そんな仮面のひっぱがしあいは真っ平御免だと思ったのである。そのくせ、僕は個人的に会った人が数名いるし、電話で話しただけの人だっている。

 人との出会いは偶然とよくいうが、ネットでは、現実に出会うのには、その人の意志が必要になってくる。先の日記の文通交際ではないが、いろいろなことを継続して話すことによって、そのひととなりを、できるだけ確信がもてるほどに知らなくてはならない。

 結局、僕の出会いは、先に述べた初期にこの場で知り合った人たちと同様に、ほとんど束の間のものとなってしまった。距離と時間のハンディーと、僕のもつ時代が、出会いというものを長続きさせてくれない。が、と言いつつも、前々から会いたい人が存在していることも事実だ。

 まあそんなことで、今夜は、僕が自分のホームページをもつきっかけとなった記念すべき日だ。昨年の十一月から長々としょうもない探偵小説もどきを書いているが、これが書きあがったとき、物を書くということが、僕のライフワークのひとつになるような気がしている。

 とにもかくにも、僕に物書きを継続させてくれるゲストのみなさんに感謝する日でもある。
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落武者伝説殺人事件は
Gaiax二周年記念作品にしようと思っている。

2000年2月11日、「dreamcity」に入会して、
当年11月にFAとなり「さすらいタウン」に移籍した。
合計ヒット数約40,000、ずいぶん長く続いたものである。

その二年間の集積がMy HP 「The White Album]だ。

遅くとも今月中には完成させるつもりだ。
これまででいちばんの長編になることはまちがいない。
(といって、ジャンルでは短編だが・・・・・)
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太陽に吠えろ 2001
昨年途中まで楽しく見ていた「太陽に吠えろ2001」
1時間ほど経過したのち、右へ習えの特別番組で
打ち切りになっていた。

今夜それの再放送があったが、
あのときほどに面白くない。

「ジュン」なんてヒーローは特番には必要ない。
どっちらけのテレビ観賞だった。

あの懐かしき時代の太陽に吠えろを思い出す。
石原裕次郎のボスはかっこよかった。
初代ニューフェイスのショウケンこと萩原健一も、
二代目、ジーパンこと、故松田優作もいかしてた。

最初の七曲署スタッフを思い出してみよう。

藤堂俊介 石原裕次郎

竜 雷太、小野寺昭、宮内 淳
下川辰平、露口 茂、萩原健一

どうです、僕の記憶はすごいでしょう。
(馬鹿、年齢がばれるぞ)
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暗闇へのワルツ (終章)
 もし誰かがあなたを心から愛したなら・・・・・・
 (いや、事実そうだったのだが、フォスティーン、あなたは知らぬ顔だった)
             ―――スインバーン


 ニューオーリンズの裕福なコーヒー商社経営者ルイスは、新聞の見合い広告を通じてセントルイスに住む娘ジュリアと結婚する。だがやってきたジュリアは、見合い写真とはまったく違う美貌の女だった。ルイスは彼女にすべてを捧げるほど溺れてしまう。しかしルイスを待っていたのは女の裏切り。女は男の財産を持ってこつ然と消えてしまう。すべてが偽りだったと知っていても、姿を消した女を執ように追うルイス。それは愛なのか、それとも・・・・・。


音のない音楽が流れ、
踊る人形二つ
そっと寄り添い,
ワルツがはじまる。



 「僕たちはこれから、このワルツみたいな人生を送るんだ。なめらかな、円滑な、美しい人生を。耳ざわりな不協和音のぜんぜん入らない人生をね。こういうふうに、いつもぴったり寄り添って、いっしょに生きていこうね。心も体も一つになって」

 「人生のワルツね」彼女が夢見るようにささやいた。「翼をもったワルツ。終わりのないワルツ。澄みきった青空のようなワルツ。金色のワルツ。白無垢のワルツ」 彼女は恍惚と歓びに酔ったようにして、そっと目を閉じた。


 これはルイスとジュリアの「暗闇へのワルツ」の幕開けだった。

 そして、ジュリアはルイスの金を持って逃げていった。

 怒りのあまり、ルイスはジュリアとの文通の先セントルイスのジュリアの家を訪ねるが、やはり本物のジュリアは行方不明だった。ルイスはジュリアの姉と私立探偵を訪ねる。ジュリアの捜索とにせもののジュリアを捕まえてもらうために。探偵は偏屈だったが有能だった。探偵はルイスと別れるとき、必ず結果を報告にしに行くと誓う。

 時間が経るほどに、ルイスにはジュリアとの情熱の日々が絶え間なくよみがえり、その切なる思いは断ち難く、ジュリアの思い出を背負ったままで、ルイスはニューオーリンズで暮らしていくのが耐えられなくなったいった。

 「ロマンチックな男ほど、失恋の痛みもはげしい。彼がそうだった。ロマンチックな男なればこそ、自分に割りふられた役をまぬけな男の役を、せりふ一つまちがえず演ずることができたのだろう。いわば、彼は当然女の餌食になるように生まれついた男だった」

 旅先のホテルで知り合った好色な退役軍人、彼がきっかけでルイスはジュリアを発見する。ルイスはジュリアを罵り、ニューオーリンズの警察へ連れて行こうとするのだが・・・・・。

 嘘と思いつつも、ジュリアの言い訳を信じずににはられない哀しい男ルイス。彼女の美貌に、蜜の誘惑に抗うすべなく、ルイスはジュリアと恋の逃避行を続けていく。偽りのジュリアのほんとうの名前はボニーだった。

 ある街で一軒の家を借りて暮らしていたとき、ひょっこりとセントルイスの探偵が現れる。本物のジュリアがミシシッピ―河から遺体で見つかったこと、偽物のジュリアをニューオーリンズの警察まで連行することを告げる。しかし、ルイスはボニーをもう手放すことはできなくなっていた。ルイスは半ば無意識のうちに探偵を射殺してしまう。

 それから、ルイスとボニーのほんとうの逃避行がはじまる。しかし、金銭感覚のないボニーをつれていては、たちまちに金が底をついてしまった。ルイスはボニーをホテルにおいて、ニューオーリンズに戻り、親友の共同経営者にすべての資産を売却し、有り金すべてをもってボニーのもとへ戻ってくる。だがいくら大金でも、好きなだけ使いつづければ、早晩再び底をつくのは明らかだった。

 彼女の趣味は贅沢、特技は演技と誘惑であった。
 金髪は男殺しと言われているが、まさにそれを地で行き、はちみつのような色をしたやわらかな髪。小柄で、ミルクのように白い肌…。見た目には夢のようにはかなく愛くるしい。

 何はともあれ、美貌とは一種の才能である。性格はともかくとして、人を騙せるほどの美しさという点では、羨望のまなざしを送らずにはいられない。

 ジュリアが一芝居打ったことに気づいたルイスの心には、激しい復讐の炎が燃え上がる。しかし、次の芝居の幕が開けば、彼女の名演技にこれまたあっけなく幻惑される。

 彼女に溺れた男には、見え透いた嘘も真実に聞こえる。男は、囚われの身のようにして、官能の誘惑に身をゆだねざるをえない。哀しく切ない男のさがである。

 淑やかそうに振る舞うのもうまいが、実際の彼女は、何につけても手際がいい。常に、危機を脱しよう、相手を出し抜こうと、せわしなく頭をめぐらせている。 だから、ルイスの殺人の後始末でさえやすやすとこなすことができた。

 ところで考えてみよう。男というものは女の嘘を見抜く勘が鈍い! どう考えても女が嘘をついているという状況でも、あっさり騙される例が多いものである。


「生きたいわ! 生きたいわ! どうせ、短い人生だもの。二度と生まれかわるわけにはいかないんだし――」

 彼にドレスや宝石やシャンパンをねだったあとで、彼女がこう叫ぶシーンがある。彼女は彼女なりに精一杯生きていたのだろう。その精一杯さを他のところに向けていたら、本当の幸せをつかんだかもしれない。

 だが、気がつくのが遅すぎた。ボニーが飲ませた毒でルイスは死んでいく。ルイスはそのことを知りながら、それでも最後まで彼女を愛していた。

 「もうだめだ。 彼はしびれた唇の間からささやいた。「何もいわないで・・・・・・。おまえの唇をおれの口においてくれ。そのままさようならをいって」

 別離の口づけがかわされた。二人の魂がたがいに行き交うようだった。永遠に一つにまじりあってしまったようだった。だが、ついにそれはできなかった。二人の魂は次第に離れ、一つは暗闇に滑り落ち、一つは明るい世界に残った。

 「これで、おれは満足だよ」 彼がほっとため息をついた。目が閉じた。死が影を投げかけた。

 「ちょっと、もうちょっとだけ待って!あと一分だけ待ってくれれば彼を行かせるわ!ああ神さま!いや、誰でもいいから、あたしに一分だけください!彼にいいたいことがあるのよ!」

 彼女は彼の上に身を投げ出した。彼女の髪がほどけて、彼の顔をおおった。彼の愛していた金色の髪が、屍となって彼をおおった。

 彼女の唇が彼の耳を求め、それにささやきかけた。聞いてくれるものは彼しかいなかったから・・・・・。「あなたを愛しているわ。愛しているわ。ね聞こえる?あなたはどこにいるの?あなたはいつもあたしの愛をほしがっていたけれども、もうほしくないの?」

 彼女の嘆きが冷たい耳へ流れた。「ルイス!ルイス!ああ・・・・・遅かったわ。あたしがあなたを愛するのが遅かったのね・・・・・・・」

 ノックの音も、ざわめきも、嘆きも絶えて、部屋はただしんと静まり返った。 「それが、あたしの罪なんだわ」


 その容姿で人を欺き、数々の悪事をはたらいてきたボニーであるが、最後の最後でぐらつくところに、一抹の救いを残している。

 彼女は、自分が世界の中心で、すべてを操っているつもりだったのだろう。 しかし、彼女自身も踊らされていたのだ…。

  そして、暗闇へのワルツは終わりを告げるのである。


 音のない音楽が絶え,踊る人形は
 崩れるように床へ落ちて,
            ワルツが終わった。


   /ウイリアム・アイリッシュ
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暗闇へのワルツ (序章)
ときは1880年,
あのころにも出会い系があった。

といっても現在のような種種雑多な
いかがわしいものではなく,
文通による恋との遭遇だ。
結婚相談所でもある。


セントルイス通信交際会
  (優秀な紳士と淑女のための会)

一人の男性が希望を書いてそこに登録を申し込んだ。
その返信を紹介しよう。

 前略

お問い合わせの件につきまして,さっそくわたしたちの会員の一人の名前と住所をご通知申し上げます。あなたから先方へお手紙くだされば,必ず通信交際の縁が結ばれ,相互に満足いただけるものと確信しております。


主人公,ルイス・デュラントは,
希望に胸膨らませていた22歳のとき,
結婚式の直前にフィアンセを亡くしてしまった。
挙式が突如葬儀と変わり果てたのである。

その後,デュラントは恋を忘却してビジネスに励み,
会社を設立し,成功し、富を築いていった。

しかし、37歳になった彼は,
再び恋というものに憧れを持ちはじめた。

けれども待っていても出会いなどちっとも訪れなかった。
その代わり彼が見つけたものは
セントルイス通信交際会の新聞広告だった。

デュラントは紹介された女性と真面目な文通を続け,
ついに文通による結婚にこぎつけた。
相手は同年齢ほどの普通の女性のはずだった。

デュラントはニューオーリンズの河岸で
彼女が乗っている船を待っていた。
希望にわくわくどきどきして待っていた。

河岸に船が着いたとき,
デュラントは彼女の写真を握り締めていた。
降りてくる一人一人を凝視して待っていた。

しかし,写真の女性は現れなかった。
デュラントが絶望に涙を流しているとき,
後ろから一人の女が声をかけてきた。

それは見るも若々しい絶世の美女だった。
彼女はデュラントに謝っていた。
もし、自分の写真を送ってしまうと
自分の人柄なんか見ずに,結婚を即断されてしまうと。
自分は何度も何度も文通を続けて
理解しあえる結婚相手を見つけたいと思っていたと告白するのだった。
そして、それがデュラントだったのだと。
彼女は叔母の写真を送ったことを泣いて詫びた。

デュラントの歓びは絶頂に達した。
新築の家も何もかもが彼を祝福していた。

結婚式で一つだけミスがおこった。
金の結婚指輪が薬指を通らなかったのだ。
彼女が手紙でサイズを間違って書いたのか
指輪屋がサイズをまちがったのかはわからなかった。
彼女はそっと指を舐め,湿らせて何とか通した。

彼の結婚生活は幸福だった。
人もうらやむ若き絶世の美女,
彼は忘れていた幸福に酔いしれ,
彼女が連れてきたカナリアがなぜ死んだのかを考えなかった。

デュラントがついに現金と小切手の両方を二人の名義にした。
その翌日、ジュリアの姉から手紙が彼の会社に届いた。
妹から何の連絡も入っていないと。どうなっているのかと。

あわてて家に帰ると,妻ジュリアはいなくなっていた。
港から彼女が持ってきた旅行カバンは鍵がかかったままだった。
鍵をこじあけると,中のドレスは妻ジュリアのものと全くサイズが違っていた。

急いで馬車を拾い,銀行の支店長の家を訪ねて、
出納係に口座の残高を調べさせると,
閉店前ぎりぎりの午後三時五分前にジュリアがやってきていて,
デュラントの預金は60ドル残されているだけだった。

本物のジュリアと偽物のジュリア,
二人はどこかで入れ代わっていたのだ。
本物は知らぬ女によけいな話をしたばかりに
ミシシッピ―川に沈められていたのかも知れなかった。

やっぱり出会い系はいつの時代でも恐ろしい。
さあ,続きを読もう。

PS みなさんくれぐれも美男美女にはご用心
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暗闇へのワルツ
<エピローグ>

音のない音楽が流れ、
踊る人形二つ
そっと寄り添い,
ワルツがはじまる。


<プロローグ>

音のない音楽が絶え,
踊る人形は
崩れるように床へ落ちて,
ワルツが終わった。

/ ウィリアム・アイリッシュ
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最近のIPO
宝くじよりもずっと当たる確率が高くて,
かなりの値上がりが瞬時のうちに期待できるもの,
それは新規公開株(IPO)だ。

昨年11月ごろより暴騰しはじめ,
数日間で2倍、3倍はザラである。
昨年末のイーシステムというIPOは,
18万円の公募1株が260万円になった。
きのう公募値が19万2000円に決まったシンプレステクノロジーは
初値が100万円と予想されている。

最近のIPOは平等に抽選方式をとっている証券会社が多い。
口座さえ作っておけば
20歳以上なら誰でも申し込みができる。
口座を作るのにお金はいらない。
もし当たったときでも、お金を払い込みたくなければキャンセルもできる。

IPOの目論見書はネットででも見られる。
さあ,皆さんお金を儲けたければIPOに参加しよう。
抽選方式をとっている主な証券会社は,
日興證券,国際証券,新光証券などである。

現在のIPO人気はブームである。
旬のうちに参加してみるのがいい。
さあ、参加するには株式の勉強からはじめよう。

ちなみにIPOリストはこちら
http://www.traders.co.jp/ipo/data/data.html
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