2001年10月の記事


カット
後輩に美容師がいる。
もちろん男性だ。

彼が店を持ってから散髪屋に行かなくなった。
いい年をして、まわりは女性だらけだが、
そのことは全然気にならない。

気になるのは学生のころの気分になって、
再び長髪にしたいと思いつくことだ。

今があのころならきっと髪を染めることだろう。
金髪にはしないが、明るいきれいなブラウンにすると思う。

あのころパーマ&カットでいくらしてたんだろう?
肩まで伸ばしたカーリーへアー、
もうそんなヘアスタイルを見ることはない。

ちなみに今日のカット料、3900円なり。
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ウィルスバスター
ウィルスバスター2001をプログラムに入れてから、
Gaiaxだけが特別に重くなってきた。
自分のサイトですらなかなか開かないのだ。

絶えずリアルモニターが作動していたせいみたいだが、
ウィルスバスターには、どうもGaiaxはうさんくさいところらしい。

リアルモニターの設定を解除してどうにかなってはきたが、
ウィルスの脅威とじれったさ、
やれやれネットの世界も面倒なことになったものだ。
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2001年日本シリーズ
バッファローズ対スワローズ
近年にないレベルの低いシリーズである。

昨年の最下位対四位の対決のようである。

テレビの視聴率は、史上最低だともいわれている。

僕が最も感じることは、テレビ中継がやかましくてたまらないということである。
アナウンサーに、ゲスト、解説者が二〜三人、
彼らはしゃべってばかりいる。
プロ野球中継をバラエティー番組と勘違いしているのではないかと思ってしまう。

野球のレベルが低くて、面白くない上に
聞くに耐えないしゃべくりばかり、
これじゃ古舘伊知郎のプロレス中継みたいなものだ。

BS放送の本場の野球中継を見ていたら、
民放の野球中継なんかは聞いてられない。

だから、音量をゼロにして、しかたなく見ているんだ。
だって、ほかに見る番組がないんだからね。
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節税の奨め
というよりも「脱税の奨め」という本を書いてみようかと思う。

この不景気な世の中で、
お上の連中のやることは
私腹を肥やすことと無駄な事業をやるばかり。

親方日の丸でなにもせず、遊んでいるならまだましだが、
未だに国民の利益を損なう縄張り争いや裏金作りまでしているとあっては、
遠山の金さんも許してはおかないだろう。

近ごろ、税金を払うことがあほらしくてならない。
日本が民間の企業ならとっくに会社更生法の適用になっていても不思議じゃない。
いつまで国民に借金をし続けていく気だろう。

無駄な税金が無駄な事業を生んでいく。
納税が有益なことと確信ができる日まで
僕は脱税を奨励していくことにしようと思っている。

僕はほんとうに腹がたっているんだ
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洋楽
洋楽のMIDIリンク集を作っている。
たいていは海外からのものになっている。

邦楽のMIDIのサイトは著作権法エトセトラで
ページが表示されなくなってきたが、
なかなか海外の方たちは怖気づくことなく、
MIDI集のサイトを公開している。

ちょっと時代がかっているかもしれないが、
私のLinks1をご覧あれ。
素敵な曲に巡りあえるかも知れません。
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いてまえ
昨日の完敗はどこへやら、
バッファローズのいてまえ打線が爆発した。
今夜は四点差をはね返し、大逆転。
いてまえ打線は面目躍如だった。


どうにかパーオンしたものの、カップまでは約25ヤード。

「長いなあ」と素振りをするプレーヤー。

「上りですからしっかり打ってください」 とキャディーさん。

「ショートするなよ」 とパートナー。

しっかりとヒットしたつもりだが・・・・・・・

「こらっ! そりゃあ、いてまえパットやないか」 とまたパートナー。

あああ、グリーンからこぼれてしまった
パターの「いてまえ」だけはやったらあかんのに・・・・・
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ロック曽根崎心中
近松門左衛門を読んでみようと思う。
「心中天の網島」に代表される、相思相愛の男女が共に命を絶つ情死。
それを描きつづけた江戸時代の作家。

元禄から享保年間に心中が相次いだといわれている。
あの時代の薄倖な若者が、現代と比べてみて、
どのようだったのか知って見たいと思うのだ。

神道では死は穢れだ。だから、神社に墓はない。
その穢れを嫌う境内で心中したのは、
「曽根崎心中」の遊女お初と、手代徳兵衛だった。

現代では「お初天神」は恋の成就を願う若者の参拝客であふれ、
その悲劇の舞台はすっかり縁結びの神になってしまっている。

二十二年前、その「曽根崎心中」にロックで体当たりしたのが、
宇崎竜童、阿木燿子夫妻だった。

「ロック曽根崎心中」の幕切れには、
阿木燿子作詞の「道行華」の歌が静かに、切々と流れていた。

生きてる間が極楽なのか
道行く先は三途の川か・・・・・
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砂の器
社会派ミステリー作家、松本清張の名作である。

戦後の日本のミステリー作品の十指に入ると同時に、
野村芳太郎監督の映画作品もまたその同列に扱われて遜色ないと思われる。
芥川龍之介の三男、今は亡き、芥川也寸志の抒情溢れる映画音楽でも知られている。

また東京の友人宅での話である。
日本映画について論じ合っていた。

「そこに貼ってある東京物語はなかなかの名作らしいな」

「ふむ、一世を風靡した『君の名は』より優れていると思うよ」

「僕は『砂の器』が好きなんだが。どうだろう?」

「あれはまちがいなくいい。おまえ、最初の場面を覚えているか?」

「丹波哲郎と森田健作の刑事が二人いるところだろう?」

「そうだ。森田健作が始まりに一言、言っただろう。なんて言ったか覚えてるか?」

「ううむ、・・・・・・・忘れた」

「今西さん」だよ。だからあれは名作だ。
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往年の名作
先月東京の友人の家に行ったとき、
彼の居間に「東京物語」のポスターが貼られていた。
友人の映画好きは、たいていがオールドファッションなのだ。

それは昭和二十八年の松竹映画で、
監督は小津安二郎、往年の名作と呼ばれている。
ポスターには笠智衆と原節子が写っていて、
日本映画の歴史というものを感じさせていた。

ある映画雑誌を読んだとき、「東京物語」は、
世界映画のランキングにも入るほどの名作だと書いてあった。
また、笠智衆と原節子の二人は、日本映画史上の名優だ。
僕は一度もその映画を見たことがなかった。

だから、おととい妻がレンタルしていたビデオを返しに行くとき、
ついでに「東京物語」を借りてきてくれるように頼んだ。

昨夜、当時の絶世の美女と呼ばれた
若き日の原節子を見るのが楽しみだった。

ところが、出てきたのは中山美穂だった。
「妻のやつ、リメイク版を借りてきたな」
と憤慨しながら見ていたが、どうも時代背景がちがっていた。
お気に入りの中山美穂には文句は言えなかったが、
竹中直人がどうも怪しいやつだった。

それでデッキからビデオを取り出してみた。

ああ、なんと、これは物語ではなく、東京日和だった
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コスモスよりも
暑さが癒えたインパチェンスがきれい。

あざやかに咲き乱れて、
散る花びらも少なく、
雨にも強くて、
やさしくて美しい。

緑の葉にピンク、オレンジ、レッド、ホワイトと
いろいろな色彩がまわりのすべてを包み込んでいる。
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Goodnight Saigon の最後の歌詞
And we would all go down together
We said we'd all go dawn together
Yes we would all go dawn together
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ガーデニング
きのう書いたとおり、ゴルフには行けず、
春の草花の苗作りをした。

思ったよりたくさん芽が生えそろっていて、
できあがった苗はちょうど520本。
花壇への定植は十一月中旬の予定。

今日こそは朝、ゆっくりと眠ろうと思っていたのだが、
早朝からゴルフの誘いの電話。
おじさんんがた、ほんとうに腰が悪いんです。
どうか行きたくて行けないつらさわかってください。
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ゴルフのない週末
先週のまさかの予選落ちは持病の椎間板ヘルニアのせいだった。
予期しないミスが続いたのは体が思うように動かなかったからだった。
それがよけい精神的な焦りを生み、さらにミスを繰り返させた。

明日はカントリークラブへ行こうにも出場資格がない。
月曜日の朝、痛みが走り、以後当分リハビリの毎日だが、
きっと再来週の月例杯には快復してくれることを祈っている。

今日は秋晴れのいい天気だった。
明日も好天が続くみたいだ。
小学三年生の息子は、「千と千尋の物語」を
友達と近くの映画館へ見に行くようだが、
僕はガーデニングに精を出すことにする。
九月の中旬に蒔いた春の草花の芽が大きくなっていて、
育苗ポットに植え替えをするのだ。
花壇への定植は11月の半ばまで、
いい苗を作ってやらねばならない。

ちなみに植え替えをするのは月並みだが、
ポンポンデージー、ビオラ、三種類のパンジー、
アイスランドポピー、オステオスペルマム、紫花菜などである。
秋蒔きペチュニアは、発芽期限を過ぎたものだったので芽が出なかった。
野菜には採取年月日が記載されているが、草花にはそれがない。
タキイ種苗もしくは販売店が発芽期限が過ぎたものを店頭に並べていたにちがいない。

たまには日曜はのんびりとと思うが、
きっと晴天の空を眺めていると、グリーンが恋しくなるに決まっている。
絶対芝刈り機を動かす気にはならないだろう。

やっぱり、カントリークラブへ行きたいよぉ〜
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パキスタン
南アジアのイスラム教共和国。
国民の85パーセントがイスラム教徒で
イスラム教によって立国するところから
パキスタン(清浄な国)と、みずからをよんだ。

1971年までのこの国は、
イスラム教と対立するヒンズー教の国インドをはさんで、
二つの地域が東西に1600キロも遠く離れていた。
東と西は民族、言語、慣習、気象、地勢、産業構造を異にし、
共通点はただ一つ、宗教(イスラム教)だけだった。

1971年に東から独立した国はバングラディシュである。
パキスタンの独立は1947年だが、
東住民の抵抗はその翌年から始まっていた。
西側が常に主導権を握り、
東への経済的搾取、社会的な差別、軍事的な弾圧は、
西と東が一つの国を構成しているとは考えられないほど甚だしかった。
この二つの異質な地域を国としてつないできたのはイスラム教だったが、
西の軍隊のイスラム教教徒が東住民のイスラム教徒を公然と迫害し、殺傷することによって、
パキスタンのイスラム教は民族統合への役割を失った。

インドパキスタンの戦争は、さらにこれを確認する結果となり、
ついにパキスタンは1971年に東パキスタンを失うこととなった。

戦禍のあとに誕生した国家、バングラディシュは
内戦中、1000万人の難民を生み、
多くの人々が、特に子供たちが戦争の犠牲となって、
飢えと疫病で死んでいった。
死の寸前の飢え細った子供の体は、
眼が飛び出し、あばら骨が見え、下腹が異様に膨らんでいた。

あの悲惨さは今のアフガニスタンの非ではなかった。
現在のように難民を助けようという状況に世界はなかった。
あの時代は世界中がもっともっと飢えていたからだ。

ほとんどが西欧の植民地だったアフリカが
中東よりは平和なのが不思議だ。
古い地図を見てみると、独立していた国は、
地中海に面した国と、エチオピアと、南アフリカほどしか見当たらないのだ。
南アフリカは世界で名だたるアパルトヘイトの国だった。
アフリカ大陸の国々は、世界史上最も欧米に搾取され、虐待を受けてきている。

僕にはわからない。
キリスト教もイスラム教もヒンズー教も仏教も
清浄なる国の意味もわからない。
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MAIN BGM
メインのBGMを変えてみた。

タイトルはグッドナイト・サイゴン「英雄たちの鎮魂歌(レクイエム)」である。
作曲はビリー・ジョエル。

お気に召したであろうか?
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イマジン
数々の流血の歴史は
貧富の差と宗教の違いからおこったといって過言ではない。

古より戦いは食わんがためであったし、
異教者とのものだった。
そのことは永遠に続いてきている。

人類に繁栄発展はあっても、
人間というものの真実の進歩など、
決しておこりえないのかもしれない。

平和を愛するという言葉が空虚にさえ聞こえてくる。
それほど人々は憎しみあって生きている。
もしくは絶えず無関心だ。

ジョン・レノンの「イマジン」は当分のあいだ流れない
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風が吹けば桶屋がもうかる
もうすぐ同時テロ多発事件より一ヶ月になる。

経済的不況の最中の事件であっただけに
市場経済は悪化の一途をたどっている。

政治的不安は消費者心理に悪影響を及ぼし、
物が売れなくなると経済は停滞を余儀なくされ、
企業の倒産やリストラで失業者は増大する。

そんななかでこの一ヶ月で株価が三倍になった企業がある。
7963の興研と7980の重松製作所だ。
いずれも防塵防毒マスクの企業で、
興研は防衛庁御用達の独占企業だ。

思い起こせば地下鉄サリン事件のときに注目された企業だった。
でも、あのときには束の間の上昇にしか過ぎなかった。

生物化学兵器テロの連想銘柄だ。
今度は自衛隊という強い味方がいる。
テロとの戦いはいつ終わるかもわからない。

テロが起これば防毒マスク屋がもうかる
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Don't Let me Down
疲れ果てていて、落ち込んでいる。
自分で自分を励ましてみても
負けた悔しさは疲労を数倍にする。

捲土重来とはいってみても
それは来年まで待つしかない。

あああ、なんと言うことだ。
よりにもよって予選落ちをするなんて・・・・・・・。

クラブチャンピオンになれる日がまた遠のいてしまった。
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誰も
答えてくれないので仕方がありません。

第一問、いがんだ松の木は柱にはできません。
だから答えは、走らにゃならんです。

第二問、それは「ふきそうじ」です。

おわかりいただけたでしょうか?

きっと yuka さんしか読んでくれてなかったんだ。
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どなたか
お答えをいただけませんか?
待っているのですが・・・・・・・。
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Answer the question
どなたか山西の問題に答えてやってください。
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日本プロ野球考
 昨日のダイエーホークス対近鉄バッファローズ戦のことである。本塁打の日本記録更新を狙う近鉄のタフィー・ローズが全打席敬遠気味のボールで勝負してもらえなかった。

 試合前、ローズは日本記録保持者の王監督を訪れ、二個のボールにサインをもらった後、王監督に新記録達成の激励を受けている。王監督にボールのサインを依頼したのは、日本のプロ野球を代表する王貞治氏に敬意を表するためであったろうし、日本一のホームランバッターだった王監督のサインが欲しかったからだろうと思われる。日本に来て六年、ローズにとっても王貞治氏は偉大だったのだ。

 十五年前、阪神タイガースが優勝した年、かのランディー・バースは残り二試合の時点で54本のホームランを打っていた。新記録樹立まであと二本だった。彼のあのときの調子では、新記録樹立の可能性が少なからず残っていた。

 残り二試合の対戦相手は読売ジャイアンツだった。一試合目の先発投手は江川卓、第一打席にヒットを打たれてからは勝負をしなかった。二試合目の先発投手は斎藤雅樹、彼も勝負を避けつづけた。

 二人の投手はともに球界を代表するピッチャーだったというのに、誰が勝負を避けさせたのかは想像に難くない。真にプロ野球を愛するファンは、記録がかかっているときほど力いっぱいの勝負が見たいものである。江川氏、斎藤氏の心中はどのようであったのか、彼らは口をつぐんで話さなかった。バース氏の著書を読むまでもなく、あの二試合は日本のプロ野球史上の汚点である。

 二年前の終盤戦、ジャイアンツの松井選手とスワローズのペタジーニ選手がホームラン王を争っていた。ジャイアンツ対スワローズの最終ゲームのことである。優勝はドラゴンズに確定していたので、両チームの勝敗の行方などどうでもよかったことなのだが、その年、新人ながら絶好調にあった上原投手に、ジャイアンツ首脳陣(長島監督)は、ツーアウトでランナーもいないのに、ペタジーニ選手に対して敬遠を指示した。

 そのとき上原投手は敬遠のサインを拒否した。しかし、拒否は認められず、やむなく上原投手は、悔しさに涙を流しながら敬遠のボールを投げた。結局、そのタイトル争いは当初からリードしていたペタジーニ選手に軍配が上がったのだが、両チームの敬遠合戦には後味の悪さだけが残った。

 その年,上原投手は新人ながら20勝をあげ、最多勝獲得とともに栄えある沢村賞を受賞した。だが、敬遠を指示されたことに対する不満が彼から消えることはなかっただろうと推測される。翌年以降、上原投手の気概は失せてしまった。ジャイアンツに入団する前に、一旦は夢見た海の向こうに思いを馳せているのではないだろうか。だから、気もそぞろな上原投手は、ちっともあの年のような投球ができないでいる。今年のジャーアンツのV逸のいちばんの原因は、ひょっとしてあのときのペタジーニ選手を敬遠させたからではないだろうかとも思えてくる。 姑息な手が、結局、今年の美酒をないがしろにしたのではないだろうかと。

 近鉄の中村選手は憤りをかくさずにこう言っている。「こんなことをしているから日本のプロ野球は駄目になるんだ」

 タフィー・ローズはうんざりして「僕にとらせたくないんなら、それはそれでいいよ」と語っている。

 ローズへの敬遠の指示は、若菜バッテリーコーチからだされたものだと公表された。「彼はいずれ帰っていく人。王、長嶋さんの記録は残しておきたい」 そう敬遠の理由をコメントしたそうだが、馬鹿げた話である。ホークスの本拠地、福岡ドームだから、王監督の記録を破らせたくないという思惑が働いたのだろうか。いや、さもいわくあるような泥を、若菜コーチがかぶったのである。その指示が、詰まるところどこから発されたのかはわからない。しかし、勝負を避けるピッチャーを見て、王監督はなぜこういわなかったのか。「逃げずに勝負しろ。打たれたっていい。記録は破られるためにあるものだ。でも、打たれるな。負けるな。厳しいところをついて、おまえのいちばんいいボールで勝負しろ。全国のプロ野球ファンが見ているんだぞ。海の向こうででもこのことが話題になるはずなんだ。必死でがんばってくれ」

 結果的に王監督も一蓮托生である。いや、現場の責任者として最終責任は彼にある。彼が持つ記録だからこそ、逃げさせてはならなかったのだ。

 長島監督が去った。メジャーリーグの野球を見て、日本のプロ野球ファンは減少傾向にある。あの新庄の溌剌とした姿を見て、ほんとうに僕は驚いている。数十倍のお金を捨てて、夢の世界にかけた新庄という一人の青年は、あまりに単純といえば単純だが、爽快さではイチローに勝るとも劣らない。

 一昨年、伝説の人ベーブ・ルースの記録を破るマグワイアの70ホームランは、メジャーリーグファンを熱狂させた。ホームランという野球のもつ華、醍醐味に日本の野球ファンも酔いしれたものだった。そして、今年、再び黒人のバリー・ボンズがその記録をぬりかえようとしている。かつてのアメリカでは許されなかったことだ。彼に対してピッチャーは逃げない。逃げることを許されないのだ。それはベンチからの指示でもなく、伝説のとりこになっている回顧主義者からでもない。それはメジャーリーグのファン、アメリカ国民からの勝負への指令なのだ。テロに苦悩する中、新記録樹立を全国民がわくわくして見守っている。

 タフィー・ローズの残り試合はあと二試合だ。オリックスの投手には渾身の力をこめて対決してもらいたい。ホームランが出る確率とそうでない確率は、はるかにそうでない確率のほうが高い。必ずホームランを打つということは、打者にとって並々ならないことなのだ。

 ベーブ・ルースは、メジャーリーグでのホームラン記録は破られたけれど、やはり野球を愛する人たちの最高の伝説の人であることに変わりはない。ローズが王監督の記録を抜き去ったとしても、やはり日本一のホームランバッターは王貞治氏であり、ローズもまたそのことを覆そうとは思わないだろう。

 記録は結果だ。時代という状況の違う結果などたいした意味を持たない。意味を為すものはファンの期待であり、夢であり、ファンの支持である。一つの記録だけでは、その名を永遠にとどめることなどできようはずもない。ファンを熱狂させること、それがプロ野球選手の使命であり、その選手がグランドの土に自らの夢を委ねた結晶になるのだ。

 勝敗がかかったときのランナー2塁3塁での敬遠は逃げではない。それは戦いの一つだ。しかし、明らかにきのうのホークスはそうではなかった。選手は、スポーツという戦いの場で、逃げることは汚点となることを忘れてはならない。そして、首脳陣は選手をそんなふうに育ててはいけない。

 昨日のゲームはプロ野球ファンの失望を買った。残念ながら、僕は王監督には絶句してしまった。ジャイアンツの松井選手だったなら打たせたのになどとは、口が裂けても言ってはならない。プロ野球はジャイアンツのために、日本人のためにだけあるものではない。そこで活躍する選手のために、日本のプロ野球を真に愛するファンのためにある。日本らしい結末はもうごめんだ。愚劣な日本らしさに明日はない。

 ホームランの新記録達成は、ONという20世紀のヒーロー依存してきた日本のプロ野球に新風を吹き込むものであり、再びその記録をぬりかえようとするヒーローの登場こそが新たな繁栄を生む。女子マラソンの新記録を樹立した高橋尚子は、更なる記録の更新を目指しているではないか。彼女はベルリンという異国でヒロインとなったのだ。

 日本プロ野球考、今のままでは選手やファンの流失を止めることはできない。
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