2004年01月の記事


ごめん
 子供のころ、大人や年上の人たちからよくいわれた言葉がある。「ごめんですむんやったら、警察はいらんやろ。ごめんですまさんように、責任持ってやらんかい!」

 「そんなこというてもできんことはでけへんし、誰やったって失敗くらいするわい」、それが叱られたときのぼくらの偽らざる気持ちだった。そのくせ、同年代の仲間や年下には同じ口上を、思わず使ってしまっていた。

 失敗をしたり、嘘をついたり、不正をしたり・・・、現在ではごめんも言えない人が多くなった。かつての美徳である不言実行に変わって、勇気ある有言実行がもてはやされている時代である。が、嘘八百、風呂の釜(湯だけ)ではいかんともしがたい。胸を張ってごめんは言うもんじゃない。うつむきかげんで、伏目がちにさも申し訳なさそうに頭を垂れるものである。もちろん、ミスをしたときは責任を取る。大人なら当たりまえのことだ。

 昨今の世の中、ごめんですまされない出来事がどれほどあることか。毎日のニュースを聞いているといやになる。警察のご厄介、世間を騒がせるような悪質な事件がもう少し減ってくれないものかと、つい愚痴りたくなる。

 「ごめんですむんやったら、警察は要らんぞ!」 こんな育ちながらの、冗談とも本気ともつかない叱責をときおり思い出すことがある。いまより世の中はずっと厳しかった。
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さわやかな風
 阿弥陀堂だよりを見た。

 東京で暮らす40代前半の夫婦、売れない作家孝夫(寺尾聰)と大学病院で最先端医療に携わる有能な医者、美智子(樋口可南子)。多忙な美智子は流産し、ある時パニック障害という心の病にかかってしまう。東京での生活に疲れた二人が、孝夫の実家のある長野県の無医村にやってくる。二人は大自然の中で暮しはじめ、様々な悩みを抱えた人々とのふれあいによって、徐々に自分自身を、そして生きる喜びを取りもどしていく。

 山里の美しい村に帰った二人は、96歳の老婆おうめを訪ねる。彼女は、阿弥陀堂という、村の死者が祭られたお堂に暮らしていた。何度かおうめのところに通ううちに孝夫は、聾唖の少女、小百合(小西真由美)に出会う。彼女は村の広報誌に「阿弥陀堂だより」というコラムを連載していた。それは、おうめが日々思ったことを小百合が書きとめ、まとめているのだった。

 が、ある日、小百合の病状が悪化する。脳腫瘍だ。手術に急を要するとき、美智子は再びメスを持つことを決意する。おうめばあさんの祈りが涙を誘う。

 主演は北林谷栄演じる96歳のおうめばあさんといってもよい。彼女の語る言葉そのものが、阿弥陀堂だよりなのだから。老いたりとはいえ、彼女の演技はまさに阿弥陀さまのようであった。

 奥信濃はすばらしい自然である。まわりの山々や緑あふれる阿弥陀堂近くの棚田風景は、とても心を和ませてくれる。やがて冬が訪れ、雪が降り、雪が積もる。そのとき、山と麓との境界線が消える。そして、雪が解け、再び春がやってくる。季節とはまるでひとの生と死のようだ。美しい自然とほのぼのとした物語、そっとぼくにさわやかな風が吹いた。
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恥の文化
 つくづく思うことは、戦後日本人がいちばん失ったものは、慈しみの心と恥の文化だ。日本人は恥を恥とも思わなくなった。誇りと虚栄の区別すらつかない。嘆かわしいが、これもまた自らも含めた我々の世代の責任。
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Gallery
 そろそろ一年間のレンタル期間が終了する。またレンタルすると、4.000円ほどかかるので自分でファイルを作っている。コピーして、ホームページ・ビルダーに貼りつければ簡単だと思っていたが、なんのなんの。どうにもこうにもHTMLソースをいじらないといけないので右往左往、けっこう体力と根気と時間を必要としている。ぼくの時間給から考えると、レンタルしておくほうがましな気もする。が、デジャブがつぶれないという保証はない。サーバー異常を起こす怖れも否定できない。なんでも金では解決できないことがある。

 で、マイホームページに「Photo&Words」というコンテンツを立ち上げた。泣く泣く「趣味のゴルフ」を削除してである。まだ途中だが、一見の価値あるかどうか、お暇なら、ちょっとだけ、みなさん、立ち寄って見てほしい。
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白夜の国
 昨日、夕方の2時間足らずの間、アンベッケン夫妻と旧交を温めあった。火曜日には帰国のため、短い時間だったが、とてもほのぼのとした気分にひたれた。北半球の反対側に住んでいる異国の人とだけに、とっても凝縮した時間を過ごせた。

 5月に関西学院大学の招きで、再度来日予定だ。招待を受けたので、講演を聞きに行かなければならない。6月にはバルト海沿岸の風光明媚な場所に新しい家が建つという。テラスでお茶を飲んでいるだけでもうっとりとしそうな場所のようだ。フィッシング、ゴルフ、クルージング、ピクニック、何より白夜の夏。いつでも遊びにきたらいいとのことである。何年か先、かならず、六月の終わりごろ、何もかもうっちゃって、スウェーデンへ行こうと思う。

 別れのとき、スウェーデン式抱擁をかわして、再会を約束した。けど、 Nice meet you、や sure、 Bye bye くらいしか自信を持って話せなくなった。思いつく単語を並べたてて、身振り手振りを使わないと意思の疎通がしにくくなった。夫人のエルスマリーさんが通訳してくれないと、どうにもならないときがある。かみさんがうまく話しているのを見ていると、自分がまどろっこしくなる。ぼくはもっともっとウーベと話したかった。

 英語を勉強し直そうと切に思う。通訳などなしで話せるようがんばってみよう。この際、モルモン教のやつらとでもかまわない。生の英語を耳に慣れさせなくてはならない。ぼくは5年以内に白夜を見にスウェーデンへ行くんだ。
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昼下がり
 冷たく晴れ渡った日ほど、透明感がます。風が吹くと、頬がひきつるくらいの気温。ファンヒーターがよく効いた陽だまりの中にいて、空の色ばかりを見ていると、別世界にいるような錯覚を覚える。

 テーブルにはシクラメンとスパティフィラム、ニューギニアインパチェンス、日差しを浴びて、見事に開花している。束の間南の島の楽園にいるようなほんわかムード。FMからは久保田の、久保田じゃない「Missing」。
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閉じられたホームページ
 人生を長く生きていればいるほど、たいていのものが多かれ少なかれ脛に疵(きず)持つ身である。故事ことわざに「出る杭は打たれる」という格言がある。いつの世でも調子に乗りすぎて、出すぎてしまうと、脛の疵が暴露される。

 去年の例でいうと、田中真紀子→鈴木宗男→辻元清美の三人がよい例である。三人とも身の程をわきまえず、出すぎてしまって、不正を暴露されて失脚した。どうも後になるほど往生際が悪く、その分お仕置きのほうも厳しかったようである。が、いちばんに抜けた田中氏は、早や復活を演じている。歯に衣着せぬ発言と、未だ父親の影響下にある強固な地盤と、膨大な遺産(国家からの搾取のようなものだが)でもって、再当選し、首相小泉純一郎に対して捲土重来、復讐を果たそうとしているようでもある。

 古賀潤一郎氏は滑稽である。自分が学んだ大学を卒業したのかしていないのか、わざわざアメリカまで出向いていかずとも、そんなことはご自分の胸のなかでわかっていたはずだ。前後不覚になって、うろたえているんじゃないかと思えるほどだ。調子に乗って、学歴にアメリカの大学をやたら載せすぎた。要は舶来のいい格好をつけすぎたのである。海千山千の山崎 拓氏側が訝ったのも当然かもしれない。朝日新聞は昨年11月の当選直後から「大学卒業」を証明するよう求めてきたが、古賀氏は資料などを示していなかったようだ。

 一時的に古賀潤一郎氏のホームページは閉じられていた。夜になって、ようやく開いたホームページで、再度学歴を確認してみたら、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に改ざんがなされ、CSULA(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス)に変わっていた。本人が似たような名前なので、勘ちがいをしていたというものだ。ここまで言い訳がましいと、あほらしくてへどが出そうになる。フレッシュなスポーツマンタイプを売り物にした好青年がきいてあきれる。ペパーダイン大学はもちろん、CSCB(カリフォルニア州立大学ベーカースフィールド)も似たようなことなのだろう。ローカルの市会議員や町会議員がよくやる、聴講生を卒業と偽るたぐいのこと。

 つべこべ言わず、潔く、スポーツマンらしく早く辞めなさい。じたばた、どたばたするほどにみっともない。恥ずかしくないんだろうか? 学歴なんて、いくらご大層に並べ立てようが、その人物評価が高まるわけでなし、推測するにアメリカの大学を転々として、テニスと遊びばっかに呆けていたんじゃないかと思う。拓やんみたいに女遊びが好きだったのかどうかは定かではないが、きっとアメリカ女性にもてたことだろう。

 足元をすくわれた。柳川高等学校(旧柳川商業高等学校)卒だけにしておけばよかったのに。学歴がないものほど学歴を欲しがるとよくいうが、彼にもそんな気持ちがあったのかもしれない。東大出の自民党副総裁と五分に渡り合うために―。補欠選へきっといまの拓さんは血気盛んなことだろう。かくして、一時的にも古賀潤一郎氏のホームページが閉じられたこと、それはまさしく彼の学歴詐称を物語っている。

 奇しくも名前は潤一郎、純でない分濁っていたか。いつも思うことだが、とにもかくにも政治の世界はみっともない。
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友遠方より来る
 スウェーデンの友人夫妻が、24日(土)の午後に我が家を訪ねてくることになった。偶然なことなのだが、市内に住む女子学生が福祉の勉強をかねて彼らの家に長らくホームステイしていたようで、今度は彼らが招かれてやってくるとのこと。むろん、そのだけのためにはるばるスウェーデンからやってきたりはしない。ウーベ・アンベッケン氏は、福祉の関係の客員教授で、少なくとも一年に一度は日本へやってきている。

 パートナーのエルスマリーさんは、日本語を含めた四ヶ国語に堪能な才女だ。三人の子育てをしながら、ストックホルム大学の博士号をとり、現在は夫と同じリンシュピン大学の講師となっている。生まれは大阪府堺市、プロテスタントの宣教師の娘だった。

 彼らとはじめて知り合ったのが1991年、早や13年もすぎた。家族がうちに泊まったこともあるし、かみさんと上の息子と娘がスウェーデンで世話になったこともある。神戸や西宮、大阪で一度ずつ会ってもいる。隔年ほどの間隔で交流を続けている。そういえば、クリスマスカードに一月に日本へくる予定だと書いてあった。今日のこの連絡に、かみさんや子供たちは大喜びだ。

 仲介の労をとってくださった、当時のNHK大阪放送局の石沢直樹さん、お元気でいらっしゃるだろうか? ぼくはテレビで彼女を知り、いろいろと電話をかけまくり、どうにか石沢さんにたどりつき、国際電話、エアーメールにて、高齢化社会シンポジウムの講師を引き受けてもらうことができたのだった。あのころの情熱を今再びと、彼らに出会うたびにそう思うのである。次回の市長選挙に出てやろうかしらん。

 それにしても来訪の連絡を、長らく音信がなかった従兄がとってきたのには驚いた。うちの電話番号が変わっていて、アンベッケン夫妻がそれを忘れてしまっていたからだが。従兄は親戚中に連絡をとって、ぼくの電話番号を探してくれた。よくよく考えれば、あのとき、NHKで放送された大津年輪ピック高齢化社会パネルディスカッションの舞台は、びわ湖ホールだった。パネラーの一人、河合隼雄さんも今ほどに有名じゃなかった。樋口久子さんもいた。従兄は大学を出て、ず〜っと大津で舞台照明の仕事をしていた。従兄とアンベッケン夫妻とは縁が残っていて、ホームステイしていた女性は、従兄の友人の娘だった。時間は後々になって、いろいろな過去のことを教えてくれる。
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砂の器
 松本清張の代表作のひとつで、日本の推理小説史の十指に入る。近頃リメイクブームのようで、「白い巨塔」につづいて、この「砂の器」もまた再ドラマ化されている。またまたスマップのひとりが主要な役を演じているそうな。彼が主演した「模倣犯」は実につまらない映画だったけれど。

 できれば、1974年に公開された松竹映画のほうを先に見て欲しい。たいていの店にビデオレンタルがされている。が、まちがってもリメイク版のビデオを借りないように。そこにもビデオ用のリメイクがある。野村芳太郎監督、主演の今西警部補に丹波哲郎、 作曲家、和賀英良に加藤剛、その愛人、高木理恵子に島田陽子が扮しているものだ。

 これは日本の映画史にも残るいい映画だ。笠智衆 、加藤嘉 、佐分利信、緒形拳、渥美清らが見事な脇役を務めていて、手に汗握る推理と戦後の日本の悲しい時代とが交錯する。脚本には橋本忍と山田洋次が携わっており、音楽はかの芥川龍之介の三男、芥川也寸志が担当している。交響曲「宿命」はすばらしい。

 また、ドラマではヒロインの設定が異なっている。原作に基づく映画では、銀座のクラブのホステスだったのが、ドラマでは舞台女優となっている。ドラマを毎週見るつもりはない。四半世紀を隔てて、現在向きにアレンジがなされるいるのだと想像する。また、今西警部補が渡辺謙なら遜色はない。が、和賀英良役には視聴率稼ぎがありありと見える。ミスキャストだと、ぼくは思う。

 できれば原作も読んで欲しい。とても面白い推理小説なのだ。が、内田康夫や西村京太郎などの多作の、単なる推理小説ではない。時代考証を念入りに行い、取材を重ね、松本清張が心血注いで書きあげた作品だ。書評では、時代の流れに色褪せることのない秀作であり、社会派サスペンスの最高傑作と絶賛されている。
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警官嫌い
 大してスピードを出していなかったつもりなのに、目の向こうに警察官が立って、横へ寄れという合図をしている。なんでだろう、あのポリが目に見えたとき、全然スピードは出していなかった。でも、まちがいない。このスタイルはスピード違反の検問である。よくわからないが、ネズミ捕りに引っかかったようだ。道路サイドに兵庫県警のパトカーが3台とまっている。

 スピードマシンが備えつけられていた場所は、200メートルほど後方だったようである。落ち葉マークをつけた軽四があんまり遅かったので、追い越すため右側車線へアクセルを踏んで出た。たまたまそこに計測器があったという実に不運な話。

 近年、全く悪質な交通違反をした覚えがない。交通違反をしないように、だいたい気をつけている。が、1年に1度くらいはかならず違反切符を切られる。みみっちいスピード違反が多く、たいてい減点1の、12.000円罰金のものだ。どうせ捕まるのなら、13年前の70キロオーバー、減点14、罰金10万円くらいのやつをやってやろうかとも思う。

 が、あのときはあとで任意出頭を求められた。罰金を払いに行く際も、凶悪犯がたむろしているような場所で小言をいわれ、一円も負けてくれず10万円きっちり徴収された。

 とにかく、昔から交通警察官は嫌いだ。危ない箇所には目もくれず、アブラウリながらがでもできる、ラクチンなところでばっかり弱いものいじめする。刑事は今のところ縁がないから嫌いじゃないが、交通警察官はいつまでも好きになれそうにない。
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学歴
 日曜日の昼下がり、パチンコですった男が二人、ひなびた喫茶店でコーヒーをすすっていた。年老いたマスターがラジオをききながら、ぶつくさと繰言をいっていた。「松下幸之助はんは尋常高等小学校しか出てはらへん。中卒やってもぜんぜんかめへんのに・・・。成功したら、反対によけいえらいぐらいや」


権六 おい、熊、おまえには学歴なんかあらへんわな。

熊八 うん? 学歴ちゅうのは通信簿のことか。

権六 聞くだけアホらしかったわ。どうせ義務教育だけで、おおかた1ばっかりやったんやろ。

熊八 人聞きの悪いこといわんといてえな。どっちかというたら優等生やったんやから。

権六 せやったら、おまえ最後に出た学校いうてみ。

熊八 トウダイやがな。

権六 ふん、トウダイ出て警備員か。おまえのは灯台もとくらしっちゅう手合いやろ。

熊八 へへへ、当たり。中学校でて、就職先がつぶれてもたんで、サダコで有名になった伊豆大島の灯台の辺で、しばらくアルバイトしとったわい。で、六さんの学歴っちゅうのはなんやいな。

権六 わしか。聞いて驚くな、京都大学よ。

熊八 あはん、あんまりわいをバカにせんといてや。京都にある大学といわなあかんのとちがうか。

権六 ・・・・・

熊八 嘘いうと、学歴詐称になるんやで。わいがいうたトウダイっちゅうのはようある冗談やが、マジに嘘つくと公職選挙法に違反するいうて、テレビのニュースでいうとったで。

権六 わしが学歴いうて尋ねたとき、おまえ通信簿のことかなんぞといいやがって、わしをおちょくっとったな。

熊八 六さんがわいのこと初めにアホにしたんやないか。おたがいさまや。

権六 公職選挙法違反いうたら、こないだの衆議院選挙で、東大出のノーパンシャブシャブのタクやんに勝った、あの民主党のやつ。誰やったかいな?

熊八 それそれ、それやがな。自民党の副総裁を破ったやつ、ええ男でおばはん連中に大人気やったやつや。

権六 思い出した。福岡二区の古賀潤一郎や。けったいな名前の大学やった。キリスト教の大学いうとったな。

熊八 ペパーダイン大学や。どうも卒業しとるかしとらんか、本人もようわからんらしいで。大学にたずねて、よう調べて、もし卒業できてなかったら、本人が責任とって議員辞職するいうてたわ。

権六 自分が勉強した大学やろがな。その自分が卒業したかしとへんか、わからんはずがないぞ。今頃になって、ぐちゃぐちゃいうとるいうことは、限りのう灰色やな。

熊八 弁護士があの学歴にしたいうてたけど、学歴なんかトウダイでも、京都の大学でもどうでもええんとちがんか?

権六 そんなことあるかい。この社会ではええほうがええに決まっとる。せやがや、学歴詐称いうやつは、公職選挙法では罪が重いんや。当選して、嘘がばれたらやめなあかんねや。

熊八 あはん、そいでノムラ・サチヨもどたばたしとったわけやな。落選やったから面白半分ですんだわけや。

権六 衆議院は国会議員やから、たれこみや内部告発、隠密活動なんかが多うて、嘘がようばれるけど、田舎の市会議員や町会議員なんか、嘘ばっかりついとるぞ。

熊八 誰のことや。

権六 あの向こうに大きい家に住んどるやつや。

熊八 大山勝正か?

権六 そうや。あいつ去年、一橋大学卒で立候補したやろ。ほんまはな、夏期講習の聴講生やったんや。同級生やったら、たいてい知っとるぞ。

熊八 聴講生やったら、なんで学歴詐称になるんや?

権六 アホかおまえは。学歴いうもんはな、正式に入学できて初めてできるんや。そいで、途中でやめたら中退、ちゃんと卒業できたら卒業や。聴講生くらいやったら、ほんまにおまえでも、東大へ入らせてもらえるぞ。

熊八 ちぇっ、六さんみたいに大学卒業しはった人は偉いわな。けど、大山がインチキして当選したんやったら、選挙管理委員会へチクってやって、やめさせなあかんやないか。くそっ、庶民をコケにしやがって。区長はんにいうてきたろ。

権六 やめとけ。大山はおまえの社長の甥っ子やぞ。

熊八 ほんまかいな。おおこわ。うちの社長、愛人囲うとって、おまけに風俗大好きなんや。六さん、ひょっとして、古賀潤一郎が辞職したら、タクやんが繰り上げ当選になるんとちがうか?

権六 そうや、そうや。それこそ好色選挙法や !

 マスターがせせら笑っている。「学のないやつはこれやからあかん。繰り上げ当選は比例区で、小選挙区は補欠選挙や。いまのやつらは自己学習がでけへんようになってしもた」 嘆いているようでもあった。
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読書
「ピアニッシモ」辻仁成の処女作。
「オキーフの恋人」のインナーチャイルドの原型に出くわした。
解説者の評で、村上春樹を葬れというコメントは比喩的ではあったが、ちょっと面白かった。
(要時間、75分)
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小説
 小説を書くのに年齢は関係ない。それなりの想像力と感性、ありのまま思いのままを率直に言葉にする能力があったなら。
 
 綿矢りさの「蹴りたい背中」の立ち読みの続きを読んで帰ったところ。少々足が棒になったが、残りを飲み終えるのに40分、ケチをつける気はサラサラない。一週間前に読んだ前半部分と、芥川賞を受賞したと知ってからの後半部分とでは、今日のほうが若干目の凝らしかたが違ってはいたのだろうが。
 
 新鮮な気分だ。当たりまえだけど、難しい単語、漢字、難解な文章、面倒な情景描写は全くない。衒いがなかった。このままずっと、すくすくとは書いていけないだろうが、19歳の女性らしいネガティブではない、さわやかな香りを感じた。

 残念ながら金原ひとみの「蛇にピアス」は在庫が切れていた。あったところで、せいぜい文字を眺めるくらいで、立ち読みには体力が限度だった。で、ただ読みしたお返しにと、これまで一度も読んだことのない京極夏彦の受賞作を買ってしまった。残り一冊きりだったからと、今さらながらに分厚いハードカバーを眺めて、買った理由を思うのである。

 大河小説を書くには、経験や取材や人的交流やいろいろな要素が必要だろう。忍耐や根気、かなりの情熱と体力が要求される。が、それぞれの人生のひとコマを小説にする気なら、誰でも小説を書くことはできる。他人に読んでもらえるかどうかは別にして。

 眉間の苦悩のしわひとつ感じさせない、つやつやした若い女性の小説をうらやましく思う。明治や大正のころは喀血しながら、生きんがために、死なんかと悶えながら必死で多くの文士が物を書いていた。第一回受賞作から列記されている作家の名前を見て、少年のころ読んだ小説のことを思い出す。時代は変わった。受け容れるものも受け容れられるものも。

 これからも次々と綿矢りさや金原ひとみのような若い世代が登場してくるのだろう。時代は光の速さで動いている。その多くは消費文化に食いつくされ、時代の速度と同じほどに、現れては消えていく。そう、日々耳にするポップスと同じような感覚で。そのことをよいことだとも悪いことだとも思わない。

 ぼくの伯父は10年近い歳月をかけて、原稿用紙6000枚にわたる大河小説を書きあげた。そして、1冊およそ400ページのハードカバー、全7巻を自費出版した。20年以上前のことである。巻末にある価格が7巻14.000円であるので、兄弟等に協賛を募りはしただろうが、出版数が300セットと推定して500万円近い自費を要していた。

 かのトルストイの「戦争と平和」ほどの文字数の長編小説を伯父は書いた。もちろん手書きで、400字詰めの原稿用紙にである。日の目を見たのは市民会館での出版記念パーティーだけだった。参加者は某有名人の記念講演を聞き、編集者の労をとってくださった大学教授の推薦の言葉を聞き、無料で全7巻の「将棋三國志」をもらって帰ったのである。が、その後、ぼくを含めてすべてを読んだという人の話を、20年間全く耳にすることはなかった。儚いといえばそうであるが、あの日、伯父は出版できただけで満足であったろうと、あの日の感涙の表情を思い浮かべてしまうである。

 今回の綿矢りさや金原ひとみの受賞は快挙ではなく、ごく当たりまえのことだととらえたい。読者はご大層な名士や年配者だけでなく、同年代、同世代の若者も多くいる。明治時代の自然派の文学がいかにつまらなかったことか。延々と続く退屈で難解な情景描写、たいてい30ページが辛抱できずに音をあげていた。純文学という名に憧憬し、呪われ、翻弄されつづけた私小説作家たち。過去が優れていて、現代が劣るということは一切ない。時代は変わりゆくものだ。劣るとすれば、ただひとつ日本語の拙さであろうか。

 で、近頃の自分はというと、小説には根をあげている。確かに忍耐がない。才覚が欠けていると、気どるつもりはない。読むほうが楽しいのであって、書くことが苦痛になっている。ぼくには伯父の真似はできそうにないし、まして自書に500万円も使うのならば、ちょっと加えてメルセデスを買いたいと思う。

 「遺書」はホームページビルダーで継続してはいるものの、いっこうに指が進まない。19歳の少女がちょっとばかり憎たらしいほどなのである。
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加筆、修正
 このごろ順不同で、加筆、修正を行っている。あんまり変わり映えはしないが、脈絡がない場所や国語が間違っているところをいじっている。自分が書いたものを読むのに一苦労、よくもまああれだけしょうもないものが、長々と書けたものだと、我ながらに感心。今夜は「迷探偵 矢吹五郎」を加筆修正した。

 今日は小春日和、天気は最高、スコアは最悪。ほどよい疲れで眠気が増してきた。

 昨日の読書、トマス・H・クック「闇に問いかける男」まずまず。ビデオで「OUT」 ちょっと笑えた。ブラックユーモア。原田美枝子のイメージが変わっていた。
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ふるさと素描
冬の田園。

野焼きを終えたころ。

田園も里も山々もどこもかも

きのうの雪で真っ白だろう。

じっくりと耐えて春を待つ

少し寂しい冷涼な光景。
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やっぱり
 「芥川龍之介賞・直木三十五賞は個人賞にして、広く各新聞雑誌(同人雑誌を含む)に発表されたる無名、若しくは新進作家の創作中最も優秀なるものに呈す」 芥川・直木賞宣言 (昭和10年1月)

 第130回芥川賞は、金原ひとみ(20)と綿矢りさ(19)、同直木賞は江國香織(39)と京極夏彦(40)に決まった。

 若い二人の女性の受賞は、共に史上最年少を記録した。綿矢りさの「蹴りたい背中」はイズミヤの本屋で、30分で半分ほど立ち読みしていた。金原ひとみの「蛇にピアス」は昨年11月にすばる文学賞を受賞していたので、もう一発という予感はあった。

 時代が変わるので過去とは比べられない。選者の石原慎太郎が、「若い女性たちらしい小説だけども、三つとも物足りないね。肝心なものが欠けている」と述べているが、そのなかでひとり選にもれた立教大文学部1年、島本理生(りお)(20)の「生まれる森」について、受賞作と帯に短し・・・のたぐいのものではなかったかと思う。出版業界不振の折、「受賞なし」は避けたいところ。といって、三作も選ぶわけにもいかなかった。で、史上最年少の女性二人が同時受賞とくれば、当面ニュースソースには事欠かない。同年代、若者たちに売れ行きは好調だろう。文字数が少なくて、行間が広く、簡潔で、わかりやすく、コミック感覚、現在のはやりのハードカバーの必須要素だ。

 過去の芥川賞受賞作品の半数以上が絶版になっている。単なる時代の風物のようであれば消えてなくなるし、普遍のものであれば残り続けるだろう。もういっぺん、イズミヤへ行って、残りのページを読んでしまおう。いくら送料無料でも、アマゾンで買うほどに興味はない。土曜日は暇だから、時間が余れば「蛇のピアス」も読んでみるか。

 過去の芥川賞、太宰治は第一回芥川賞が欲しくて欲しくてたまらなかった。選者の川端康成に恥を忍んで、直々に頼みこんだほどである。懇願の手紙をなんども書いた。だが、だめだった。彼の日々の素行が悪かったからである。当時の文学界の重鎮(とにもかくにも志賀直哉)たちに嫌悪されていた。彼の作品が下劣だという理由と、人間的によくないという理由で。が、その後の多くの受賞作が消えてなくなり、太宰の小説が、鴎外や漱石、川端をもしのぐほど書店に並べられているというのは皮肉なことだ。さらに、太宰を打ち負かした、社会派石川達三の数々の作品が、文庫の中で最も絶版率が高いという現象も皮肉なことだ。かろうじて、第一回の受賞作「蒼氓」はその姿をとどめている。

 受賞作家で記憶に残る作家をあげてみる。井上靖、安部公房、松本清張、吉行淳之介、遠藤周作、石原慎太郎、開高健、大江健三郎、北杜夫、村上龍、宮本輝、辻仁成、柳美里、とまあこんなところか。三島由紀夫も村上春樹もそこにはいない。結果的に太宰も受賞しなくて正解だった。彼らのなかでは、安部公房がぼくのいちばんのお奨めである。

 直木賞については、このまえ述べたように形骸化しつつある。出版功労賞的な意味あい、売れ行きのよい作品を数多く執筆している作家に、順送りにしている。ま、これはこれでいいんじゃないの。

PS こっちのほうが楽しそう。2003年ベスト・ミステリートップ10。国内編と海外編がある。ヤフーのトップページのいちばん上。
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ふるさと素描
蛍の里。

宵闇に乱舞する光の群れ。

かつて大洪水がこの里を襲い

見るも無残な歴史が刻まれている。

のちに清水の流れに蛍が生息をはじめ、

この地に人々がもどってきたという。
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雪の日の午後のティーターム
 トム・クルーズは不世出の大スターたる風格を備えてきた。容貌もさることながら、品格、演技力においても。森の中心で、際だって凛々しく、美しく、微動だにしない一本の樹木。世の女性ファンが熱狂する理由がわかる。少々空恐ろしさを感じるほどだ。

 が、ぼくは森全体を見ようとする。今までいろいろな映画、小説、音楽を見聞きしてきたが、その作品が好きということと、それを作った、演じたアーティストが好きだということとは直結しない。その逆もありで、夏目雅子は大好きだが、彼女の出演した作品で、あんまり気にいったものはない。また、珠玉の作品を求めているわけでなく、小品でもいい、波長が合うものに巡り合いたいだけだ。

 きのうの記で、「ラスト・サムライ」をひどくこき下ろしたつもりはないのだが、それなりの批判はしている。先にトム・クルーズありきのかたには、こき下ろしたと思われても仕方がない。彼はあの映画の頂点で、まちがいなく光り輝いていた。冒頭に述べたように、彼は不世出の大スターたる歩みを見せている。ぼくはなまじっか、時代劇、時代小説に精通しているばかりに、また、好きであるばかりに、あの映画の相容れない部分(日本のあの時代の普遍のもの<精神>といってもよい)を感じとって、無邪気に楽しむことはできなかった。それが作品としての森全体なんだと思う。

 トム・クルーズの作品では、「7月4日に生まれて 」「ザ・ファーム 法律事務所」が好きだ。で、これからあんまり彼のことは語るまい・・・、それが午後の休憩時間のぼくの偽らざる気持ちである。以心伝心は、ぼくの筆力ではかなわない。
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ラスト・サムライ
 1977年(明治10年)ごろというと、かの西郷隆盛による日本の最後の内戦「西南戦争」が思い浮かぶ。明治新政府への士族の反発が引き金となり7カ月に及ぶ長い戦いが繰り広げられた。

 開戦直後の明治10年2月26日、熊本市河内沖に集結した官軍の軍艦が艦砲射撃を開始。海岸に接近した小型船からは火箭(せん)と呼ばれる西洋製のロケット攻撃を加えたという。終始劣勢だった薩軍は、ときおり猛反撃を試みたが、多勢に無勢、宮崎・長井村で官軍に包囲された薩軍は諸隊の解散を宣し、九月末わずか残った500人で可愛岳を越える。薩軍の多くの若者が鮮烈な死を遂げ、陸軍大将の西郷隆盛は敗戦を覚悟して、戦場で割腹、部下の陸軍少将の桐野利秋が介錯をした。このラストが、表題の映画の設定と少々類似しているといえなくもない。

 昨日、三時間以上待って、満席の隅で「ラスト・サムライ」を見た。成人式だからでもあったのだろう、若いカップルが大勢いた。いつにない青年たちの人いきれだった。映画はさすが人気作品だけあって、初っ端から楽しめるものだった。興味津々の出だしだったのだ。

 娯楽作品において、史実に忠実である必要はない。あくまでもフィクションである限り、登場人物がどうあろうが全くにかまわない。「ラスト・サムライ」はトム・クルーズという超人気俳優が描くサムライ・ファンタジーであり、ハリウッドの金もうけ戦略のターゲットであり、はやりの若者向けエンターテイメントなのだった。そして、それは今のところ、日本では大成功のようだ。

 子供のころ、近所に東映の映画館があって、ぼくは幼年時代、少年時代を東映の時代劇を見て育った。「大菩薩峠」「丹下左膳」「旗本退屈男」「鳴門秘帖」「清水の次郎長」「赤穂浪士」「里見八犬伝」などなど。近所のよしみ(おばさんに子供がなくてかわいがってもらっていた)でただだったので、100作品以上は見ていると思う。また、青年期、司馬遼太郎や藤沢周平などの本をよく読んだ。侍、武士、武士道なるものをよく知っているつもりなのである。

 「ラスト・サムライ」のストーリーがハチャメチャなのは、ハリウッドのビジネスだからしかたがないと思う。トム・クルーズ演じる『オールグレン大尉』がかっこいいのも当然だと思う。トム・クルーズファンには、こたえられないサムライ・ファンタージーに仕上がっていた。

 が、みんなが感動している場面を見ていて、ちと悲しくなった。武家には仇討ちというものがある。勝元(渡辺謙)の弟を殺し、負傷したオールグレンを、勝元は弟の妻(小雪)とその息子二人に住居を共にさせ、世話をさせる。そして、その母子はオールグレンに愛情を抱くようになる。これは考えられないサムライストーリーだ。良き夫を殺した相手にとは・・・、ここで拒絶反応が始まる。どうにかほのかなロマンスにとどめているのだが、子供には全くに父親を殺された憎しみがない。いくらなんでも心広し、神秘で不可思議なサムライ心情といえど、絶対にありえないことだ。また、勝元の住処、吉野の里はまるで隠れ里のようであり、彼らは侍ではなく、甲賀忍者の末裔のようでもあった。

 吉野から東京まで馬でひとっとびくらいはどうでもいい。横浜に電線がやたら多かろうと、そんなことはどうでもいい。汽車への襲撃や最後のマシンガンによる殺戮など南北戦争と思えば似たり寄ったりだ。でも、鉄砲は信長の時代から存在していた。矢と刀だけの戦術など時代錯誤も甚だしい。あげく、勝元を忍者が襲うのにはあきれはてた。

 サムライとは時代錯誤な精神をさすのだろうか? これはぼくも映画ともに否である。が、ぼくはそれを日本人の古き良き心とおきかえたい。神秘的でもなんでもなく、人をたて、思いやるどこにでもある普遍のものだと。

 敗戦が確定し、勝元がオールグレンに助けられて自害に至るとき、官軍の兵士たちは勝元に向かって土下座した。英雄を讃えるつもりだったのだろう。指揮官の大村が激怒してやめさせようとしたが、兵士たちは無言のままだった。土下座を見て、気分が悪くなった。生死を賭けた凄まじい争いのあとで陳腐きわまりなかった。

 で、楽しめたかどうか、たぶん、居眠りをしなかったから楽しかったんだろうと思う。明治維新ごろの日本の時代背景、志士の維新の心をを知っていて、みんながあの映画を楽しんでいたならと、思わぬでもない。彼らが列強から日本を守り、欧米以外で唯一独立の道を歩ませたのだから。

 洋楽、洋画、海外小説を愛するぼくは、かえって古い人間なのかもしれない。君が代という明治以前の古来からある歌はきらいだが、武士道なるスピリットは嫌いじゃない。生き延びたオールグレンがなぜ吉野の里へ帰っていったのか、あれは夢の中の光景で、ジョージア州タラの大地へでも、もどっていてくれたならと思うのである。

 PS ハリウッドは世界発である。
    ハリウッドの捉え方が標準となる可能性を持っている。
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ふるさと素描
いつもの川の流れの二里上流。

流れは豊かで木々や空の色を湛えている。

少年時代、魚釣りやいかだ下りをした場所。

丘の上から田園地帯を広く見渡せる。

すぐそばにはJR西日本の無人駅があるんだ。
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ふるさと素描
ある町の光景。

橋を渡ると中学校があり

歩道の左手には市役所がある。

右手の小山の方角にぼくの家があり

川の流れは川下のウォーキングロードにつながっている。

橋の名前は三和橋

三つの地区を和でつなぐという由来。

季節は初夏なんだろうな。
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酔いどれトムの歌
 BGMに Tom Waits の曲を流していた。あの酔っぱらったようなダミ声を聴きながらでは、ほかの二人の仕事が、はかどらないだろうことを意識して。

 トム・ウェイツは1950年生まれ。作曲活動だけでなく、フランスス・コッポラの映画挿入歌や出演など幅広い。役者としては、「地獄の黙示録」や「黄昏に燃えて」など短いシーンが多い。が、「黄昏に燃えて」では、ジャック・ニコルソン、メリル・ストリープにかないっこないんだけど、あの2人に挑戦してるような気もする。

 ピアノの弾き語りのスタイルで、徐々にジャズ風のトランペットやギターがサウンドに加わってくる。歌詞は一貫して都会人たちの哀愁や悲恋物語、バーや裏通りにたむろする人々の心情を歌っている。殊に都会の片隅の描写、そこで起こる物語の歌詞では右に出るものがないほどだ。晦渋さではボブ・ディランと双璧。そして、突如としてサウンドや歌詞に変化が起き、奇怪なパーカッションが入り乱れる中で、魑魅魍魎が狂騒する世界のような物語、さながら奇怪なお伽噺ともいうべきダーク・ファンタジーが語られるようになってゆく。

 実はこのMD、どうにかレコードからカセットにとり、コンポでMDに移しかえた。だから、ダミ声がよけいにダミ声に聞こえてくる。少しボリュームを落として、ソフトなタッチに見せかけて・・・。

 でも、女性のほうが我慢しきれなくなっていう。「なんか、場末の飲み屋の喧騒のようですね」。よおくわかってるじゃない。ジャケットの中にある歌詞カード見せようか。「もうちょっと、もうちょっとだけボリューム落としてもらえませんか?」。ふん、これ以上落したらかけてないのもおんなじだ。

 トム・ウェイツの弾き語りは、都会人の哀愁路線、ナイトクラブ向きなんだろう。一度耳にしたら忘れない声、知ってしまったらどこまでも追いかけてくる歌詞、その強烈な個性ゆえに一般ウケはしないものの熱烈なファンが後を絶たないのがトム・ウェイツなんだろうな。が、ぼくのは全くの気まぐれ。たまたま「地獄の黙示録」で Tom Waits の名前を目にしたから。でも、日が沈んで、夜の闇の中で聴いてみると、案外はまってしまうかも。
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イーストウッドがハリウッドをチクリ
【ロサンゼルス=千歳香奈子通信員】虐待で心に傷を抱えたまま大人になった少年たちの悲劇を描いた映画「ミスティック・リバー」(10日公開)で監督を務めたクリント・イーストウッド(73)がロス市内でインタビューに応じた。
 同作品は昨年12月に発表されたゴールデングローブ賞のノミネートで作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞(ショーン・ペン)助演男優賞(ティム・ロビンス)の5部門に名を連ね、アカデミー賞でも有力視されている。イーストウッドの監督作が受賞すれば92年の「許されざる者」(作品賞、監督賞)以来となるが「一番重要なのは作品賞だよ。でも大事なことはできうるベストの仕事をして、そういうことはあまり考えないことだな」と無欲を強調した。
 イーストウッドが原作小説を読んで映画化を熱望したが、「虐待」という重いテーマのため映画会社から次々と断られ、ようやく完成にこぎつけた。「今のハリウッドは若者向けのエンターテインメントばかり。だから、こういう映画はかえって新鮮かもしれない。ただしヒットするかどうかは僕には分からない。多くのひどい映画がヒットする時代だからね」。
 今作が監督24作目。監督を務めた作品には、ほとんど俳優として出演しているが、今回は監督に専念している。「今は監督をする方を楽しんでいる。でも僕のために素晴らしい役柄を書いてくれたら『この役をやりたい』と思うかもしれない」。73歳になっても俳優への情熱は失っていない。
 過去にカリフォルニア州カーメル市長を務め、政治への関心は今も高い。同州知事に就任したアーノルド・シュワルツェネッガーには「今のところよくやっている」とエールを送る。一方で日本の外交官2人がイラクで殺害された事件に触れ「外交官の遺体が日本の空港に戻ってきたとき、なぜ小泉(首相)は迎えにいかなかったんだい。どんなに忙しくても行くべきだった」と厳しい言葉が飛び出した。(日刊スポーツ)
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セイシュン
 中学生のころ、ドラマ「青春とは何だ」が好きだった。ひねた高校生とちょっぴり硬派で型破りな先生が織りなす学園ドラマだった。主人公の野々村健介を夏木洋介が演じていた。久保とか寺田なる登場人物を記憶している。

 あの時代にしては、ぼくの通学していた中学は荒廃していた。三年生のときのそれは特にひどく、暴力と破壊が日常茶飯事だった。女の子にもてる今でいうイケメンなるスポーツマンは、生意気だとワルグループに目をつけられ、校庭の裏で毎日のように殴られた。十人ほどの輪のなかへ放りこまれ、殴られて倒れる先、倒れる先で受け止められて、延々と殴り続けられた。鼻や口から血しぶきがあがり、そのむごたらしい光景には誰も目をそむけるしかなかった。教師は知らんぷりを決め込み、その生徒は11月から卒業式まで登校しなかった。真冬に登校してみたら、窓ガラスが一枚もなくなっており、教室中がガラスの破片と石ころででめちゃくちゃだった。学校のすぐそばの河川敷で勤務帰りの女性の暴行事件があり、授業中技術家庭科の教師が半殺しほどに殴られた。さすがにそのとき、面子も何もかもかなぐり捨てて、学校は警察を呼んだのだが・・・。あのパトカーの音だけは忘れもしない。あのとき、ぼくは早く高校へ進みたかった。ほとんど最低の教師たちだった。だから、あのドラマが好きだったのだろうと思う。ぼくもひねた生徒だった。志望校へ進めるかどうかぎりぎりの怠け者だった。

 高校に入ると、ドラマの原作、石原慎太郎の「青春とはなんだ」を愛読した。ついでに「青年の樹」をさらに愛読した。ぼくは高校に入ってのち、勉強が相変わらず大嫌いで、徐々に落ちこぼれとなった。だから、痛快な青春ものを好んだのだろうと思う。が、好きになった女の子にその二冊の本を薦めて、読後感に「セイシュンクサイ」といわれて落ちこんでしまう。女の子はとても文学少女だった。ぼくは手始めに、サンテグジュペリの「星の王子さま」を、それから太宰治の「人間失格」を、そして、野坂昭如の「火垂るの墓」を読まされることになる。それで完璧に、遅ればせながらの悩める青春期に突入させられたのである。そのときのぼくの恋が成就しなかったのはいうまでもない。

 時代はかなり経て、振り返らなくても村山由佳の小説も「セイシュンクサイ」のである。主人公にはぼくがいて、お姉さんのような目でぼくを描いている。彼女の中にいる少年、もしくは青年がいろいろな思いを語る。現在の退廃したものはそこにはなく、クリーンな空色のキャンパスに物語を紡いでいる。そのひとつ「天使の卵」には、また別な青春の思い出がある。ぼくにはほほえましいひととき、彼には甘くて切ない一ページが・・・。ここでは語るまい。一時期 angels egg のIDをもった人のことを。
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天使の卵〜
 小五の息子が宮部みゆきの「ドリーム・バスター第二巻」を熱心に読んでいる。ルビが打っていないから、「ハリーポッター」シリーズより難しいそうである。表紙がアニメだから、子供向きの本だと思って、先月の誕生日に買ってやったものだが、まさかトー・ビー・コンティニューものだとは気がつかなかった。で、イズミヤの書店で続きを先ほど買ってやった次第である。

 ついでにぼくも一冊と何かを探してみた。目立つところに複数平積みされた文庫作品は、流行作家のものとわずかに残された古典で占められている。その他は書籍棚に出版社別に並べられていて、どの作家のどの作品がどの出版社のものかわからないので、文庫のコーナーを堂々巡りしなくてはならない。題名の記憶がおぼろげであるから、迷いながらの探し物をしているようでもある。店員に聞けばことは簡単なのだろうが、それが面倒だ。出版社などどうでもいいから、作家別に全部まとめて陳列してくれればと、大きい本屋へ行ったときほどそう思う。

 なかなか見つからないはずだった。記憶にあった作品は短編で、その短編を収めた短編集のタイトルが別な名前だった。店員に尋ねなくてよかった。よけい面倒なことになっていた。その探していた短編は「南から来た男」、ロアルド・ダールの珠玉の作品である。ハヤカワ文庫の「あなたに似た人」に納められていた。

 「ドリーム・バスター2」を脇に抱えた息子を待たせて、メインのハードカバーの場所へ行ってみた。新作、人気作家のものがたくさん積み上げられている。「ドリーム・バスター」もそこに並んでいた。17歳の史上最年少で文芸賞を受賞したという、綿矢りさの「蹴りたい背中」と受賞作の「インストール」がとなりにあった。ぼくはその二冊を手にとり、ちょっとだけ流し読みをした。すごく若い言葉たちだった。それから目線を平行にし、少し角の傷んだグレーのカバーの一冊を手にとった。少し恥ずかしいが言っちまおう。村山由佳の「すべての雲は銀の。。。」 似たようなジャンルの女性作家でなら、ぼくは江国香織や唯川恵より彼女の文体のほうが好きだ。書く内容のほうも。理由のひとつとして、それは彼女がぼくを主人公に描くからかもしれない。『わたしのなかのかれ』に話すかのように。

 久しぶりに気楽に本を読めている。日本の作家の作品、それも今の時代の作家の書くものは、感覚がずれることがないので読みやすい。情景描写、時代背景も明確だ。だから、読むピッチも自ずと速くなる。これまで読んだ彼女の作品は三作、「天子の卵」、「もう一度デジャヴ」、「きみのためにできること」、たぶん三年以上前のことだ。軽くていいなんていうと、彼女に失礼かもしれない。けれど、たまにはジーンズにスニーカー姿のような、軽快なタッチで本に接してみるのもいいものだ。で、「すべての雲は銀の。。。」はまだ半分読んだだけだが、ちょっぴりグー。
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仕事始め
 今日から仕事始めである。が、めったにない半ドン、昼飯を食ってのんびりしている。

 あと一ヵ月半足らずで確定申告の時期である。最近の税制は変動が多くて、ずいぶんと面倒なことが多い。気をつけてやらないと、よけいなものまでとられてしまう。お上は取るほうは問答無用で差っ引くが、もらう側には面倒な申請をしないと払ってくれない。

 来年からは配偶者特別控除がなくなる。今年限りの優遇税制である。だのに、うっかりとぼくは大きなミスを犯してしまった。今年度の税制から適用される株式の申告分離課税の一本化において、妻の株式の特定口座で、「源泉徴収をしない」方を選んでいたのだ。そのため、ぼくが運用して出た利益が、妻の所得に計上され、妻は扶養家族に加えられないことになってしまった。「源泉徴収をする」を選択しておれば、いくら利益が上がろうと、ぼくの扶養家族でいられた。損が出たときだけ申告に行って、利益と相殺してもらえばよかったというのに。まさかのミスである。塾のほうで赤字をできるだけ出してくれといってはいるものの、徒労に終わりそうな気がする。国家に貢献したと納税の多き分はあきらめよう。

 世の中が不安定なとき、逆の発想で物事を考えてみよう。銀行にお金を預けることは、0.0数パーセントの金利で銀行にお金を貸していると同じことだ。来年4月より、ペイオフが開始される。富める層ほど預ける先を厳選するだろう。踏み倒されそうなやばい金融機関に大金を預けられないからだ。

 銀行は優良法人には1%前後で短期貸し出しをする。が、無担保な個人には5%でも融資をしてくれない。たとえば「モビット」のようなサラ金まがいの部所を作って、即日審査で通れば、20%ほどの暴利をとって貸してくれはする。国民の税金で救済を受けた大手銀行が、こんなふうにして優良企業ぶった、したり顔をすることに腹立ちを覚えることがよくある。

 不良債権を未だに片付けられず、だめなゼネコンや不動産、流通や商社の債権放棄を継続している。いつ、すべてが終息を見るのだろうか?

 銀行がだめなら、郵便局や県や国が、個人に常識的な金利で金を貸してくれるだろうか? 否である。国民の多くは返してもらえる保証のない場所に自分の財産をわずかな金利で預け、苦しいとき、暴利を貪る消費者金融やカードローンを利用させられている。国債が、国の国民への借金ということは徐々に浸透しつつある。国民は銀行よりは国を信頼している。だから、国債の意味を知るひとでも国債を買う。

 が、わかっておいてほしい。銀行でも郵便局でも農協でもどこでも、今あなたが自分の虎の子のお金をそこへ預けているのではなく、貸しているのだということを。金融機関は融資する先を選別する。それと同じように、あなたもまた、貸してやる金融機関を選別するときにきていることを。

 また、ただ預けるだけならサービスのよい大手証券会社をお勧めする。MRF(マネー・リザーブ・ファンド)にしておけば、銀行の普通預金よりは利息はましだし、何よりペイオフとは無縁である。万が一証券会社が倒産してもMRFなら大丈夫。口座開設して入金しておけば、カードを発行してくれて、ATMで全国の同一証券会社や郵便局で出金できるから不便さはない。振り込み手数料は相手持ちだし、ネットの口座を加えると、ログインして自分の銀行口座への振り込みも自由だ。また、ネット上で最新の経済ニュースを見ることができる。銀行では経済の勉強はできないが、証券会社だとそれができる。が、わからないものを勧められて、損をしても、やっぱりそれは自己責任だから、わからないことははっきりと断ることである。イエスとノーがはっきりと言えない人は、絶対に成功をしないし、過ちにまきこまれやすい。また、口座開設だけなら全くお金はかからないし、当人が住民票のある成人であるなら拒否されることもない。
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シャット・ダウン
 二日と三日のレンチャンゴルフに続いて、今日は子供たちとパターゴルフ。54ホールもあるタフなところで、要した時間は約2時間。上り下り、フック、スライスのラインを読んで、21アンダーでホールアウトしたぼくは、子供たちにはちょっとしたマジシャン。10数年のキャリアはだてじゃない。が、ちと寒かった。明日からは普段どおり、風邪をひかないうちに退散しよう。かみさんの風邪も治ったことだし、今放映中の「K−19」をみんなと見てしまおう。

 言葉を紡ごうとすればするほど、それは絡まってとりとめがなくなる。調子に乗りすぎると、どこかの借りものの文句のようになる。振り返ると自分の言葉に感心してみたり、記憶にない言葉が残されていることに驚いたりする。クモの巣にかかって、ぼくの思考は右往左往しながら、ついにはさしさわりのない場所へ追いやられる。シャット・ダウンだ。
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温度差
 昔から飲み会なるものが嫌いだった。とりわけ、管理職との飲み会や社内旅行が嫌いだった。その気持ちは現在でも変わらない。が、ぼくの同世代、管理職になった連中は部下、若い人たちとの飲み会が総じて好きである。元々好きだったものもいるにはいるが、以前にまして好きになったといってよい。好きでなかった連中でさえ、若手との飲み会を過ごしたいというようになった。

 ぼくは酒の席でコミュニケーションを図るというのを、好ましく思っていない。酒が入ると、普段口にできないことができ、無礼講で楽しめるのだというひとがいるが、それもひとつの例であって、普遍のものではない。愚痴ばかりこぼすやつ、説教をたれるやつ、セクハラするやつ、勝手なワリカンを決めこむやつ、酒の席だからとすべてを水に流そうとするやつ、なんでも忘却するやつ、いろんなことを体験し、見聞きしてきた。

 つきあいゴルフも嫌いである。エミリー扮するキャディーさんに、『三井住友VISAカード!』といってもらわなくてはならないへたくそ管理職ゴルファーに、あほらしくて「ナイス・ショット!」などとべんちゃらいえたもんじゃない。

 若手社員が飲み会や社内行事を好んでいないのは、今に始まったことではない。プライベートな時間を束縛されることがいやだったのは、ぼくらの時代でも同じだった。ちがいは、ぼくたちが上下関係に辛抱を強いられる時代に生きていたということ。新聞で「管理職と若手社員」とのいっしょの飲み会の温度差という記事を目にした。予想以上に世代間認識の違いは大きいというが、管理職の人たちは自分たちのころを顧みて、普段の接し方から温度差を埋める努力をしなければと思うのである。

 管理職は給料いいくせにとか、あいつらチョンガーで気楽だろうからとか、そんな発言は禁句である。裏を返せば、管理職には肩にぶら下がっているものが重くて、薄給の若手社員は友だちや恋人とのつきあいでキュウキュウしているのである。
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22歳の別れ
 元旦は娘の誕生日でもある。毎年、朝は新年を祝い、夜はバースデーソングで娘の誕生日を祝福する。キャンドルライトが点ったとき、キッチンのテーブルは、おせち料理とバースデーケーキが合体する。大きいロウソクが二本、小さなロウソクが二本、22歳の誕生日だ。

 かみさんは昨年に引き続いて、腸風邪をひいてダウンしている。去年のことがあるからと、くれぐれも気をつけるようにいっておいたのに、まるで自己制御ができない幼い子供のようでもある。

 娘は就職が決まって、三月末より上京をする。生まれてこのかた関西を離れたことがなかったのに、あっというまに遠くへ行ってしまう。今夜はこんなふうに誕生日を祝ってやれる最後の夜だったのかもしれない。かみさんの症状はあんまり芳しくなく、寝こんでいて同席できなかった。下痢と嘔吐を伴う風邪はとても苦しい。

 卒論を終えたら、ニュージーランドへ一ヶ月のホームステイに行くという。そして、帰ってきてすぐ、神戸、東灘のワンルームから引越しである。決して頭がいいほうではないのだけど、一般職の給料では、ひとりでは暮らしていけないと、転勤覚悟の総合職での道を歩む。家から通える職場は限られている。親の世話にならずに生きていきたいらしい。むろん男の世話にもならずに。

 予定していた明日の同窓会の出席をキャンセルして、弟の面倒と家事をやってくれている。かみさんの症状は去年よりましだから、ぼくがいるからといってもきいてはくれない。この家(うち)に、家族に名残があるのだろうか。そう思えば、かみさんが九月ごろより、娘のところへよく行くようになった。車の運転が下手だから、不便きわまりないJRに二時間ほど揺られて―。三宮のそごうや元町の大丸へいっしょに買い物をしに行った。

 寝こんでいるかみさんが、いちばん別れのようなものを感じているのかもしれない。まだまだ子供で、幼さがぬけきらない娘が、ひとり旅立つのを切なく感じているような気がする。そう考えれば、今夜は娘との22歳の別れの日だった。たぶん、こんなふうに次の23歳の誕生日を迎えられないはずの、記念の誕生日。

 生死とは別な親と子の別れの日は必ずある。ほんとうに巣立っていく日。普段と変わりなく、今夜、この部屋に取り残されたぼくが抱くもの、それはどこにでもあるありきたりな感傷なのだろう。自分たちが子供だったころ、およびもしなかった親の気持ち。そして、すぐになつかしいものとなるであろう、数々の記憶。

 22歳の別れに切に願う。健康で、不運に見舞われないでさえいてくれたなら、それ以上のことは決して望まないからと。
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