セイシュン
 中学生のころ、ドラマ「青春とは何だ」が好きだった。ひねた高校生とちょっぴり硬派で型破りな先生が織りなす学園ドラマだった。主人公の野々村健介を夏木洋介が演じていた。久保とか寺田なる登場人物を記憶している。

 あの時代にしては、ぼくの通学していた中学は荒廃していた。三年生のときのそれは特にひどく、暴力と破壊が日常茶飯事だった。女の子にもてる今でいうイケメンなるスポーツマンは、生意気だとワルグループに目をつけられ、校庭の裏で毎日のように殴られた。十人ほどの輪のなかへ放りこまれ、殴られて倒れる先、倒れる先で受け止められて、延々と殴り続けられた。鼻や口から血しぶきがあがり、そのむごたらしい光景には誰も目をそむけるしかなかった。教師は知らんぷりを決め込み、その生徒は11月から卒業式まで登校しなかった。真冬に登校してみたら、窓ガラスが一枚もなくなっており、教室中がガラスの破片と石ころででめちゃくちゃだった。学校のすぐそばの河川敷で勤務帰りの女性の暴行事件があり、授業中技術家庭科の教師が半殺しほどに殴られた。さすがにそのとき、面子も何もかもかなぐり捨てて、学校は警察を呼んだのだが・・・。あのパトカーの音だけは忘れもしない。あのとき、ぼくは早く高校へ進みたかった。ほとんど最低の教師たちだった。だから、あのドラマが好きだったのだろうと思う。ぼくもひねた生徒だった。志望校へ進めるかどうかぎりぎりの怠け者だった。

 高校に入ると、ドラマの原作、石原慎太郎の「青春とはなんだ」を愛読した。ついでに「青年の樹」をさらに愛読した。ぼくは高校に入ってのち、勉強が相変わらず大嫌いで、徐々に落ちこぼれとなった。だから、痛快な青春ものを好んだのだろうと思う。が、好きになった女の子にその二冊の本を薦めて、読後感に「セイシュンクサイ」といわれて落ちこんでしまう。女の子はとても文学少女だった。ぼくは手始めに、サンテグジュペリの「星の王子さま」を、それから太宰治の「人間失格」を、そして、野坂昭如の「火垂るの墓」を読まされることになる。それで完璧に、遅ればせながらの悩める青春期に突入させられたのである。そのときのぼくの恋が成就しなかったのはいうまでもない。

 時代はかなり経て、振り返らなくても村山由佳の小説も「セイシュンクサイ」のである。主人公にはぼくがいて、お姉さんのような目でぼくを描いている。彼女の中にいる少年、もしくは青年がいろいろな思いを語る。現在の退廃したものはそこにはなく、クリーンな空色のキャンパスに物語を紡いでいる。そのひとつ「天使の卵」には、また別な青春の思い出がある。ぼくにはほほえましいひととき、彼には甘くて切ない一ページが・・・。ここでは語るまい。一時期 angels egg のIDをもった人のことを。