22歳の別れ
 元旦は娘の誕生日でもある。毎年、朝は新年を祝い、夜はバースデーソングで娘の誕生日を祝福する。キャンドルライトが点ったとき、キッチンのテーブルは、おせち料理とバースデーケーキが合体する。大きいロウソクが二本、小さなロウソクが二本、22歳の誕生日だ。

 かみさんは昨年に引き続いて、腸風邪をひいてダウンしている。去年のことがあるからと、くれぐれも気をつけるようにいっておいたのに、まるで自己制御ができない幼い子供のようでもある。

 娘は就職が決まって、三月末より上京をする。生まれてこのかた関西を離れたことがなかったのに、あっというまに遠くへ行ってしまう。今夜はこんなふうに誕生日を祝ってやれる最後の夜だったのかもしれない。かみさんの症状はあんまり芳しくなく、寝こんでいて同席できなかった。下痢と嘔吐を伴う風邪はとても苦しい。

 卒論を終えたら、ニュージーランドへ一ヶ月のホームステイに行くという。そして、帰ってきてすぐ、神戸、東灘のワンルームから引越しである。決して頭がいいほうではないのだけど、一般職の給料では、ひとりでは暮らしていけないと、転勤覚悟の総合職での道を歩む。家から通える職場は限られている。親の世話にならずに生きていきたいらしい。むろん男の世話にもならずに。

 予定していた明日の同窓会の出席をキャンセルして、弟の面倒と家事をやってくれている。かみさんの症状は去年よりましだから、ぼくがいるからといってもきいてはくれない。この家(うち)に、家族に名残があるのだろうか。そう思えば、かみさんが九月ごろより、娘のところへよく行くようになった。車の運転が下手だから、不便きわまりないJRに二時間ほど揺られて―。三宮のそごうや元町の大丸へいっしょに買い物をしに行った。

 寝こんでいるかみさんが、いちばん別れのようなものを感じているのかもしれない。まだまだ子供で、幼さがぬけきらない娘が、ひとり旅立つのを切なく感じているような気がする。そう考えれば、今夜は娘との22歳の別れの日だった。たぶん、こんなふうに次の23歳の誕生日を迎えられないはずの、記念の誕生日。

 生死とは別な親と子の別れの日は必ずある。ほんとうに巣立っていく日。普段と変わりなく、今夜、この部屋に取り残されたぼくが抱くもの、それはどこにでもあるありきたりな感傷なのだろう。自分たちが子供だったころ、およびもしなかった親の気持ち。そして、すぐになつかしいものとなるであろう、数々の記憶。

 22歳の別れに切に願う。健康で、不運に見舞われないでさえいてくれたなら、それ以上のことは決して望まないからと。