友遠方より来る
 スウェーデンの友人夫妻が、24日(土)の午後に我が家を訪ねてくることになった。偶然なことなのだが、市内に住む女子学生が福祉の勉強をかねて彼らの家に長らくホームステイしていたようで、今度は彼らが招かれてやってくるとのこと。むろん、そのだけのためにはるばるスウェーデンからやってきたりはしない。ウーベ・アンベッケン氏は、福祉の関係の客員教授で、少なくとも一年に一度は日本へやってきている。

 パートナーのエルスマリーさんは、日本語を含めた四ヶ国語に堪能な才女だ。三人の子育てをしながら、ストックホルム大学の博士号をとり、現在は夫と同じリンシュピン大学の講師となっている。生まれは大阪府堺市、プロテスタントの宣教師の娘だった。

 彼らとはじめて知り合ったのが1991年、早や13年もすぎた。家族がうちに泊まったこともあるし、かみさんと上の息子と娘がスウェーデンで世話になったこともある。神戸や西宮、大阪で一度ずつ会ってもいる。隔年ほどの間隔で交流を続けている。そういえば、クリスマスカードに一月に日本へくる予定だと書いてあった。今日のこの連絡に、かみさんや子供たちは大喜びだ。

 仲介の労をとってくださった、当時のNHK大阪放送局の石沢直樹さん、お元気でいらっしゃるだろうか? ぼくはテレビで彼女を知り、いろいろと電話をかけまくり、どうにか石沢さんにたどりつき、国際電話、エアーメールにて、高齢化社会シンポジウムの講師を引き受けてもらうことができたのだった。あのころの情熱を今再びと、彼らに出会うたびにそう思うのである。次回の市長選挙に出てやろうかしらん。

 それにしても来訪の連絡を、長らく音信がなかった従兄がとってきたのには驚いた。うちの電話番号が変わっていて、アンベッケン夫妻がそれを忘れてしまっていたからだが。従兄は親戚中に連絡をとって、ぼくの電話番号を探してくれた。よくよく考えれば、あのとき、NHKで放送された大津年輪ピック高齢化社会パネルディスカッションの舞台は、びわ湖ホールだった。パネラーの一人、河合隼雄さんも今ほどに有名じゃなかった。樋口久子さんもいた。従兄は大学を出て、ず〜っと大津で舞台照明の仕事をしていた。従兄とアンベッケン夫妻とは縁が残っていて、ホームステイしていた女性は、従兄の友人の娘だった。時間は後々になって、いろいろな過去のことを教えてくれる。