覚醒の森15
 その夜、僕はミクが眠ったあとに小屋の外へ出て、男の死体を森の少し離れた場所に埋めた。部屋の中にあった男の服も、歯ブラシも、男がここにいたという痕跡はすべて消し去った。小屋の外には男が乗ってきたらしいワゴン車もあったけれど、さすがに運転ができない僕にはどうしようもなかった。車の中にあった運転免許証やカード類はぜんぶ土に埋めて、現金だけは僕の財布に移し変えた。
 ミクの手錠の鍵はどんなに探しても見つからなかった。
 明るくなるころには僕はすっかり眠くなってしまって、その日は昼ごろまでぐっすりと眠っていた。目が覚めるとミクが不思議そうに僕を見ていて、僕がミクの名前を呼ぶと声を出す仕草をして、驚いたように自分の喉に手を当てた。それからきょろきょろ辺りを見回して、昨日と同じように床に文字を書き始めた。そのミクの指が「あなたはだれ」と動いたから、僕も少し驚いてしまった。
 ミクと少しだけ話してみて、僕はミクが昨日の出来事をすべて忘れてしまったことを知った。それどころか、ミクは自分の名前も、年齢も、素性さえもすっかり忘れていたんだ。自分が何も覚えていないことにミクはおびえていた。だから僕は彼女を抱き寄せて、1つ1つ言い聞かせるように話し始めた。
「大丈夫。今は僕がそばにいる。……僕もね、2年以上前だけど、記憶をなくしたんだ。今でもそれ以前のことはほとんど思い出せない。だけど僕は1人でも、ちゃんと生きていられたよ。だから、ミクも大丈夫。怖がらなくても大丈夫だよ」
 初めて、僕に呼びかけてくれたルイ。素性の判らない僕を拾って、世話をして、いろいろな楽しいことを教えてくれた。今度は僕がルイになればいい。あの時、ルイは僕を傷つけたけれど、赤の他人である僕の面倒を見てくれたまごころだけは真実だと思うから。
 僕にはルイのような心はない。だけどルイのまごころと同じものをミクに返すことはできるはずだ。あの時のルイは確かにある意味僕を救ってくれたのだから。
「ミクの不安な気持ち、僕には判るよ。今はまだ、無理だけど、この手錠が外れたら一緒にミクの両親を探しにいこう。きっとミクの両親は心配してる。ミクのこと、血眼で捜しているはずだよ」
 僕は両親に捨てられた。だけどミクは僕みたいなバケモノなんかじゃない。どこかの街へ行って、名前と年齢だけでも交番に届けたら、すぐに迎えに来てくれるはずだ。ぜったい、僕みたいなことにはならないはずだ。
 ミクを慰めながらちらりと思った。昨日僕は、彼女が恐怖の記憶を忘れることを願った。その願いを、誰かがかなえてくれたのかもしれない、って。