覚醒の森1
 目覚めたのはたぶん、どこか深い森の河原だったと思う。思うというのは、僕は目覚めたあと意識がはっきりしないまま、かなり長い時間を移動のために費やしてしまったからだ。このときの僕にはまだ、自我というものすらなかったような気がする。ただ歩いて、歩いて、これ以上歩けないと感じたときに眠って、また歩いた。
 自分が言葉というものを知っていると気づいたのは、初めて人間に話しかけられたときだった。おそらく僕が本当の意味で目覚めたのはこの瞬間だったのだろう。いつの間にか森は途切れていて、僕は灰色に伸びる下り坂を延々と辿っていた。それまで僕のすぐそばを通り越していくだけだった車。その1つが止まって、中から1人の人間が出てきたんだ。
「どうしたんだ? ……そんなに汚れて、道にでも迷ってるのか?」
 言葉を理解したとき、僕の時間は動き始めた。言葉がなければ時間も存在しなかった。今、現在、そして一瞬ごとに通り過ぎていく過去。目覚めて最初に僕の中に生まれたのは「時」だった。
「汚れて……? 僕は、汚れているの……?」
 その人が驚いた表情をしているのが判った。僕の中の「言葉」が、僕にそれを教えてくれた。
「……ああ。汚れてるな。……この先の集落までだってまだかなりあるぞ。ずっと歩いていくつもりなのか?」
 そう訊ねられたとき、僕の中に「未来」という言葉が生まれた。ううん、本当は、僕が最初から知っていたのだろう言葉をこの人が思い出させてくれたんだ。僕はこれからどうすればいいんだろう。僕は今までどうして歩いていたんだろう。
「まあいっか。とにかく乗れ。話は車の中で聞くから。近くの駅までなら送ってやるよ」
 背中を押されてその人の車に乗り込んだ。走り始めてしばらく。長い沈黙のあと、その人は言った。
「おまえ、名前は?」
「大河」
 あまりにすんなり答えられたことが自分でも意外だった。そうか、僕の名前は大河っていうんだ。
「オレはルイ。この先のふもとの町に住んでる。……とりあえず、雨が降り出す前にオレは1度帰るからな」
 ルイはそれだけ言うと、なぜか次に車が止まるまで一言もしゃべらなかった。