幻想の街最終回
 悲鳴すら、上げることができなかった。

 その間、自分がなにをしていたのか、思い出すことができなかった。気がつくとあたしは車に乗せられていて、隣に見知った人が座っていた。美幸の友人である理恵子さんだった。運転席の柿沼さんと理恵子さんは40代くらいに見える人間の夫婦で、あたしが顔を上げると理恵子さんが気遣うように肩を抱きしめてくれる。
「一二三ちゃん、しっかりして。まだ死んだと決まった訳じゃないわ」
 口の中に血の味を感じた。忘れもしない、美幸の血の味だった。……そうだ、あたし、あの部屋に流れていた血をなめて ――
「一二三ちゃん! 気を確かに持って!」
「落ち着くんだ一二三ちゃん! 美幸の奴がそう簡単に死ぬ訳ないだろ? 大丈夫だから!」
 知らず知らずのうちに意味のない叫び声を上げていた。美幸の血。美幸の血。美幸の血。あの部屋に流れていたのは確かに美幸の血だった。壁にも、床にも、本当に美幸1人で流したのかと思うような大量の血があふれていて。
 美幸が殺されてしまった。吸血鬼は死んでも死体が残らない。美幸はあの部屋で、誰かに殺されてしまったんだ。
「美幸が……美幸……死ん……!」
「死んでないわ! ぜったい死んでない! だってあの部屋には血が流れたあと以外なにもなかったでしょう? 大丈夫、生きてるわ!」
「そうだよ。身体が溶けたらしい痕跡はなかったんだ。つまり誰かが美幸をあの部屋から連れ去ったことになる。そうだろ? 一二三ちゃん。美幸はちゃんと生きた状態で何者かに連れ去られたんだ」
「ね? 最初から殺すつもりなら連れ去ったりしないわ。美幸はどこかで必ず生きてる。一二三ちゃん、お願いだから信じて!」
 口を閉ざしたのは落ち着いたからじゃない。あたしはもう、何も考えられなくなっていた。今目の前にあるのは美幸がいないという事実だけだ。あたしはまだ、美幸のために何もしていないのに。
「もうすぐ屋敷につくわ。明後日にはマギーもきてくれる。だからお願い、自分で自分を追い詰めないで。あたしたちがそばにいるから」
 だけど美幸はいない。理恵子さんに抱きしめられても、あたしの思考はそこから一歩も前に進むことはなかった。

          了