桜色迷宮・最終回
 片腕であたしを抱き起こして、もう片方の手で器用に携帯電話を扱って救急車を呼ぶ美幸先輩の声を聞いていた。先輩の状況説明は的確で、でも冷静に見えてかなり動揺しているらしいのは、その震える声からも十分判った。
「大丈夫だよ、一二三ちゃん。すぐに救急車が来てくれる。しっかりするんだ」
 電話を終えた先輩の言葉に小さくうなずく。ただ待っているだけの時間はものすごく長く感じた。ここから1番近い国道沿いの消防署まで、たぶん1キロくらいしかないだろう。時速60キロで走ってくれれば、到着まで1分くらいしかかからないはず。
「……痛い……です。それに……なんだかクラクラして……」
「一二三ちゃん!」
「あたし、痛いって感覚、慣れてなくて……。血、たくさん出てますか……?」
「たいした量じゃないよ。僕だったら病院にすら行かないくらいだ。大丈夫、このくらいの傷ならすぐに治るよ」
「……小学校の頃、ちょっとすりむいて、3ヶ月入院しました。……先輩……お見舞い、来てくれます、か……」
「必ず行く! 毎日必ず行くから! ……ダメだ、ちゃんと目を開けて! 僕の声を聞いて、僕と話して!」
 なんだか、体中の血液が、どんどん頭の傷から流れ出ているような気がした。目を開けているのがつらくなって、しだいに先輩の声も遠くなっていく。大丈夫だよ先輩。今までだってずっと、必ず誰かがあたしを助けてくれたんだ。お医者様や、救急隊の人や、両親や学校のみんながあたしの命を助けてくれた。あたしはこの15年間、ただ生きていたというだけで奇跡だった。

 そうだ、病院で目覚めたら、まず先輩の顔を見て言うんだ。たぶん最初は無菌室で、そのあと面会謝絶が解けてからになると思うけど、初めて病室まで先輩がお見舞いに来てくれたときに。誰かに聞かれるのは恥ずかしいから、先生に頼んで、先輩と2人だけにしてもらって。そのときに必ず言う。あたしは先輩のことが好きです、って。
 それからどのくらいかかるか判らないけど、退院したらまた生徒会室に戻って、先輩たちと一緒に平凡な日常を過ごすんだ。あたしはぜったいに死んだりしない。ただ、もう1度あの場所に戻るために、今はほんの少し休ませてもらうだけ ――

 どんな小さな可能性でも信じていようと思う。奇跡は必ず起こるんだってことを、あたし以上に知っている人はいないのだから。