桜色迷宮59
「先輩、もしかして寝不足ですか?」
「あ、やっぱり判る? ほら、夜中に地震があっただろう? あれから目がさえて一睡もできなくてね。一二三ちゃんは大丈夫だった?」
「あたし、横になっててもめまいがする人なので、それのひどいのだと思ってました。最近はあまりなかったから疲れてるのかな、って」
「そうなんだ。でもそれなら、本当のめまいじゃなくてよかった」
 美幸先輩とたわいない話をしながら、国道を少し入ったところにある金物屋さんまで足を伸ばしていた。駅前のデパートまで行くよりはずっと近いのだけど、地元の人しか知らないから、文化祭準備が最高潮の今でもけっこう品が揃ってるんだ。そこで必要なものを買った帰り道、見通しのいい2車線道路の縁石で区切られた歩道を歩いていると、目の前に路上駐車した車の中で男女が激しく言い争いをしているのが見えた。なんとなく、見てはいけないものを見たような気がして、先輩と顔を見合わせて苦笑いしながら通り過ぎる。
 それからほんの5、6メートル歩いたときだった。うしろから自転車が猛スピードで近づいてくる気配がして、あたしはごく自然に先輩の背後に移動して道をあけた。最初、なにが起こったのかよく理解できなかった。とつぜんの音に再度振り返ったあたしの目に飛び込んできたのは、すごい勢いで迫ってくる、うちの高校の制服を着た男子の顔だけだったから。
  ―― その場に倒れかけた一瞬だけ、あたしは意識を失っていたみたい。背中と後頭部へのショックで目を覚まして、でもすぐに痛みが襲ってきたから数秒間は目を開けることができなかった。たぶんほんの短い時間だったのだけど、脳裏に映り込んだ画像を解析して状況を理解した。うしろから自転車で走ってきた男子は、とつぜん開いた車の助手席のドアにぶつかって、自転車から投げ出されてしまったんだ。
「一二三ちゃん! 一二三ちゃん!」
 自分の名前を呼ぶ声に導かれて目を開けると、すぐ近くに美幸先輩の青ざめた顔を見ることができた。ほんの少しだけ頭を動かして、髪の毛から伝わってくるわずかな感触で、どうやら頭に怪我をしているらしいことを知った。たぶんあたし、倒れた瞬間に縁石に頭と背中をぶつけてしまったんだ。その部位に注意を向けたとたん、頭から背中にかけての一帯に、ふだんならぜったいに感じることのない痛みを感じた。
 たぶん、普通の人なら死ぬような怪我じゃないのだと思う。でもあたしの身体には十分致命傷になりうる傷だった。