桜色迷宮56
 2人で、本当にいろいろな話をしたと思う。
 日常の小さな出来事から始まって、学校の友達のこと、流行のファッションのこと、行きつけのお店や、音楽のこと。
 その店は暗い照明とアバウトな作り、それに安くておいしい店として高校生に人気だった。ドリンクバーが無制限で、絶えずライブ映像を流しているから、大きな声で長時間話していてもぜんぜん気にならないんだ。初めて先輩にその店を教えたのは夏休みも終盤に入ってからで、それ以来あたしたちはその店で過ごすことが多くなっていた。意外にも先輩はロック調の激しい音楽を嫌いじゃなかったから、1回だけカラオケボックスで先輩の歌を聴く機会もできた。……あたしは1曲も独りで歌うことをしなかったけど。
 あれ以来、先輩は1度だって、告白の返事をせかすことはしなかった。でもあたしがつい画面に映る女性シンガーをほめたりすると、決まってさりげなく「でも一二三ちゃんほどじゃないよ」と言ってあたしに思い出させた。先輩はきっと今でもあたしの返事を待っているのだろう。でも、自分からきっかけを作って心の内を告白できるほどの度胸は、あたしにはなかった。
 先輩のことをひとつ知るたびに、あたしは自分が先輩を好きになっていることに気が付いた。あたしが好ましいと思うことを先輩も好きだと判れば嬉しかったし、逆に趣味が合わないと思うことがあっても、他人におもねることのない正直な態度に好感が持てた。人を好きになるという感情について、こんなに考えたことは今までなかったかもしれない。先輩が言ってた通りなんだ。近くにいて、その人を知っていくことで、その人を好きだって思う感情はどんどん育っていくものなんだ。
 先輩と過ごす時間を幸せだと思った。周りの視線や雑音に気が引けるのとはまったく別の次元で、あたしは先輩を好きだと感じていた。先輩の気持ちをどうこう思うのではなくて、あたし自身の気持ちとして、先輩のそばにいたいと思った。このままずっと、永遠に、先輩の隣で生きていきたいと思った。
  ―― その人は、とにかく綺麗で、あたしが知るほかの誰と比べることもできないくらい綺麗な人。明晰な頭脳と、華麗なまでの運動神経と、文句のつけようがない優しさと責任感を持っている。
 あたしは特に秀でたところのない平凡な容姿と、多少数学が得意なだけの平凡な頭脳を持った普通の人だ。おまけに人にはない病気までも持っている。それでも先輩はあたしを選んでくれた。優れたところをたくさん持っている人たちよりも、あたしを選んでくれたんだ。