桜色迷宮51
 いったいどんな顔をしてこのハンカチを買ったんだろう。しかもこんな夜中の見回りにまで持ってきていたなんて。
「やっと、泣き止んだね。……よかった」
 見上げると、薄明かりの中に少し困ったような笑顔を浮かべた美幸先輩が目に入った。
「……先輩は、知ってたんですか? 会長と……朱音先輩のこと」
「会長の気持ちはね。……朱音ちゃんの気持ちまでは知らなかった」
「……あたしの気持ちも、知ってたんですか……?」
「……うん。だって、僕が1番見ていた人のことだから」
 あたし自身は知らなかった。会長のことは、ただの憧れなんだと思ってた。ずっとそばにいて、できれば恩返しをしたい、って。会長と朱音先輩が抱き合っているのを見て初めて気づいた。あたしは、朱音先輩が今いる場所と同じ場所にいきたかったんだ。
 会長はいつも優しかったけど、その優しさは誰にでも平等に注がれている優しさだった。会長の特別な存在になれるのはあたしじゃないって判ってた。それだけじゃなくて、たぶんあたしは、会長が誰かを特別に想うことなんてないような気がしていたのかもしれない。それなのに、ほんの小さな可能性にすがりついて、あたしは美幸先輩を拒否したんだ。
 手を伸ばせばすぐに届く幸せよりも、あるかないか判らない幸せを求めて。あたしには、未来を夢見る資格なんかなかったのに。
「一二三ちゃん、その、……もしも僕が、一二三ちゃん以外の誰かと会長のようなことをしていたら、少しは気にしてくれるだろうか」
 珍しく、先輩があたしの目を見ずに話していた。……今日、寝床の中で聞いた噂話。もしもあれが本当のことだったら ――
「いや、だと思います。……少なくとも、笑って祝福はできないです」
 あたしの答えは、美幸先輩にとっては意外なものだったのかもしれない。何事にも動じない先輩が驚いたような表情で振り返ったから、あたしの方が驚いて、でもそのうちに笑いがこみ上げてきたんだ。
「嫌です。美幸先輩が誰かと抱き合ってるのも、たくさんの女の子たちに囲まれて笑ってるのを見るのも。……すごく、嫌だったです」
 今、ここにいる自分に正直になろうと思った。河合会長に対する気持ちとは違うけど、あたしが美幸先輩を好きなのは本当だったから。