桜色迷宮50
 念のため焼却炉まで行ったから、帰り道は校舎裏の造成林と中庭を突っ切るルートになっていた。ふと、校舎のはずれで美幸先輩が足を止める。つられて止まったあたしが先輩を振り仰ぐと、先輩は唇に人差し指を当てて、そのあと森の方に視線を向けて小さく言った。
「先客がいる。戻った方がよさそうだね。行こう、一二三ちゃん」
 おそらく先輩は森の中に人影を見たのだろう。あたしは、先輩がなぜ戻ろうと言うのかが判らなかった。だって今この学校の校内にいるのは合宿をしているあたしたちだけで、先輩の立場なら消灯時間を過ぎて外に出た生徒は注意しなければならないから。先輩はあたしの前に立ちはだかるような位置にいたのだけど、気になったあたしが横から覗き込もうとする動作を止めることまではしなかった。
 目を凝らして、森の中の人影を見る。木の間に立っているのは河合会長だ。そして、会長が両腕で抱き寄せるようにしていたのは ――
「 ―― 一二三ちゃん、歩いて ―― 」
 美幸先輩に声をかけられるまで、あたしは自分が泣いていることに気づかなかった。涙でよく見えなくなってしまった2人を無理やり視界から追い出して、先輩に背中を支えられるようにして歩いていく。再びグランドに戻ってくるまで美幸先輩は無言だった。ううん、もしかしたらなにか話していたのかもしれないけれど、あたしにはぜんぜん聞こえなかった。
  ―― やっと、判った気がした。あたしがどうして美幸先輩の告白にイエスと言えなかったのか。小さな、とても小さな可能性を、自分の手で消してしまいたくなかったんだ。あたしの幸せは未来じゃなく、今この瞬間にしかないと知っていたのに。
 グランドの隅のベンチ、今日あたしが休んでいたのと同じベンチに座ったとき、やっと美幸先輩の声が聞こえた。
「 ―― アザラシと、豹と、サイとトカゲ。どれが好き?」
「……サイです」
「それじゃ……はい、サイ模様のハンカチ。もちろん返さなくていいからね」
 手の中にハンカチを押し付けられて、のろのろした動作でそれまで流れ落ちるだけだった涙をぬぐった。どのくらいそうしていただろう。徐々に視界が開けてきて、胸の痛みの理由も整理されてきて、手の中のハンカチにプリントされたサイを見る余裕も出てきていた。
 あたしが好きだって言ったから、美幸先輩はいろんな店をあちこち歩き回って、サイの絵柄のハンカチを探してくれたんだろうか。