桜色迷宮44
 パジャマに靴を履いて外に出る。たったそれだけのことなのに、あたしはまるで冒険でもしているような気分だった。食堂脇のガラス戸を出るときにはやっぱりちょっとためらってしまって、美幸先輩に背中を押してもらってようやく足を踏み出した。いったい何が違うっていうんだろう。昼間着ていたブラウスとスカートも、今着ているパジャマも、薄い布が上下1枚ずつだってことは同じなのに。
 外の空気は、暑い夜に窓を開け放していたときの部屋の空気と同じはずなのに。なぜだか判らないけど開放感があって、知らず知らずのうちに両腕を広げて深呼吸をしていた。そんなあたしを見つめていた美幸先輩と目が合って恥ずかしくなる。どうしても、自分が人と違うって意識してしまうから。
「……あの、あたし、パジャマで外に出るのって、初めてなんです。だからちょっと、興奮してるかもしれないです」
 先輩がなぜかまぶしそうに目を細めて、そのあとゆっくりと歩き始めたから、あたしも先輩について歩き始めた。
「それじゃ、僕は一二三ちゃんの初めてに貢献したんだ。一二三ちゃんにはきっとこれからも、たくさんの初めてがあるんだろうね。……少し、うらやましいような気がするよ」
「……どうしてですか? 先輩にはあんまり初めてがないんですか?」
「一二三ちゃんほど多くはないかな。……でも、僕も今、僕自身の初めてを経験してる」
 あたしは、少しさびしそうに聞こえた声に不安を覚えて、先輩の顔を覗き込む。気づいて振り返った先輩はいつものように微笑んでいたけど。
「1人の女の子をこんなに好きになるのも、好きな子に告白するのも、告白の返事を待つのも、僕は初めてだよ。ついでに言うならパジャマを着たその子と夜中に散歩するのも」
 思わず足を止めてしまったあたしに、美幸先輩は少しすねたような表情を見せた。
「やっぱり忘れてたね? ……僕は、忘れないで欲しい、って言ったはずなんだけど」
「……忘れて、ないです」
 さっと目を伏せてうつむいたまま、あたしはその一言しか言えなかった。