桜色迷宮34
 先輩はあたしの表情の変化を正確に読み取ったのだろう。一瞬だけ目を伏せて息をついたあと、顔を上げた先輩はいつもの優しい微笑みに戻っていた。
「ずるいだろう僕は? 一二三ちゃんに少しでも肯定的な言葉をもらうためならこういうことも平気でできる」
 もしかしたら先輩は、あたしが自分のことを卑怯だと思ってたって、気がついたのかもしれない。ようやく少しだけ落ち着きを取り戻していた。でも先輩の微笑みをずっと見ていることはできなくて、またいつの間にかうなだれていたのだけど。
「たとえばだけど。一二三ちゃんが健康で、普通に運動ができる子だったら、僕が好ましいと感じる優雅な動作をしなかったかもしれない。一二三ちゃんにとっては、病気であることも一二三ちゃんを構成する大切な要素なんだよね。もちろん僕は一二三ちゃんが1日も早く健康になればいいと思うし、元気になって活動的な動作をするようになったとしてもずっと好きだと思うけど。でも病気だからといって君を好きな気持ちが変わることはないよ。だからもう少しだけ僕を見て、僕を信じて欲しいな」
 聞いている言葉をうまく頭の中で消化することができなかった。だから気づかなかった。先輩はいつの間にかテーブルを回って、あたしの隣にきていたんだ。先輩の手があたしの髪に触れたとき、あたしは思わずよけてしまった。もちろんあたしは素早くよけるなんてことはできないから、頭を横に動かして先輩の手首を片手で押し上げただけだったのだけど。
「あ、あの……ごめんなさい」
 驚いた表情の先輩を見上げてあわてて謝る。どうしてそんなことをしたのか自分でも判らないから言い訳もできなかった。このあいだ髪をなでられたときには、驚きはしたけど触って欲しくないとは思わなかったのに。
「……ええっと、今の「ごめんなさい」は、ちょっと気が早すぎるこの右手に対するものだと思ってかまわないよね。僕の告白に対する返事だとは思いたくないよ」
 このときの先輩の表情は思いのほか真剣で、あたしは黙ってうなずくことしかできなかった。
「返事は急がない。僕は今までと同じように一二三ちゃんに接することにするけど、だからといって僕に告白されたことを忘れないで。僕はいつでも、一二三ちゃんの返事を待ってるから」