桜色迷宮32
 瞬間、あたしは固まってしまって、先輩と目を合わせていることすら忘れていた。そのあと、先輩がふわっと微笑んで、我に返ってうつむいたあたしはたぶん顔を真っ赤にしていたと思う。どうしたらいいのか判らなくて、それ以前に何を考えればいいのかすらも判らなかった。美幸先輩の言葉は誤解する余地がないくらい明確だったのに、どうしてもその意味を理解することができなくて。
 あたしが何も言えなくなっていることをどう捉えたんだろう。美幸先輩は姿勢を正して、微笑んだまま改まった口調で続けた。
「僕は一二三ちゃんが大好きです。今まで出会ったたくさんの人の中で、1番好きです。僕の恋人になって下さい。僕は若年寄だし、もちろん、僕が一二三ちゃんを好きなのと同じくらい、一二三ちゃんも僕を好きだなんてうぬぼれてはいないですけど、もしもほんの少しでも僕を恋人にしてもいいなと思ってくれるのだったら、僕とつきあって下さい。お願いします」
 先輩の声色にわずかな緊張を感じる。最後の言葉を言ったとき、先輩が動いた気配がして、あたしが顔を上げて見ると先輩は両手をついて頭を下げていたんだ。もしもあたしが何も言わずにいたら、先輩はずっとこのままかもしれない。そんな強迫観念にかられてあたしはようやく声を出したんだ。
「あ、あの、あたし……美幸先輩が言うようないい子じゃないです。からかってるんでなければ、どうして美幸先輩みたいな人があたしなんかを好きだって言うのか判らないです。美幸先輩のまわりにはすてきな女の子がいっぱいいて、みんな美幸先輩のことが好きなのに、どうしてあたしみたいな子が好きなのか判らないです。きっとなにか勘違いしてるんです」
 言葉の途中から先輩は顔を上げてくれて、あたしが一気にしゃべり通すと、少し首をかしげるように微笑んだ。
「僕は一二三ちゃんが好きなんだよ。一二三ちゃん以外の女の子は最初からいてもいなくてもおんなじだよ」
「あ、あたしは一枝先輩みたいにかわいくも明るくも、朱音先輩みたいにしっかりしてもいないです」
「それは前にも聞いたな。僕が好きなのはかわいい女の子でも、明るい女の子でも、しっかりした女の子でもなくて、一二三ちゃんなんだよ。一二三ちゃんだから好きなんだよ。例えば一二三ちゃんがこれからどんな風に変わっていっても、一二三ちゃんだっていうだけで僕は好きなんだよ。例えば一二三ちゃんに姿も声も性格もそっくりな女の子がいても、僕は一二三ちゃんが好きなんだよ。ほかの人に代わりなんか出来ない。一二三ちゃんが好きなんだ」