桜色迷宮22
 あたしはしばらく朱音先輩を見つめたまま硬直してしまった。そのうちにふと先輩が視線を外して、ようやくあたしも視線を落とす。制服を洗いながらも混乱していて、まともにものを考えることもできなくなっていたんだ。先輩が言ったようなことをあたしは今まで1度も考えたことがなかったから。
 恋愛とか、憧れなかったといえば嘘になる。小学生の頃、学校を休んだあたしにクラスの友達は、学校のプリントと一緒によく少女マンガを差し入れてくれた。明るくて健康な女の子が主人公の恋愛マンガ。きっと、病気が治って元気になったら楽しいことがたくさんあるって、その子はあたしを励ましてくれたんだと思う。それとも何も考えずにただ暇つぶしにと思って差し入れてくれたのかもしれないけど。
 病気を持っていたあたしには、恋愛なんて遠い世界の物語だと思ってた。あたしは長く生きられないかもしれないし、たとえ大人になれたとしても子供を産むのは無理だろう。そんなあたしをそういう目で見てくれる人がいるなんて、あたしには思えなかったから。もしも逆の立場で、あたしが健康だったとしても、あたしはあたしと同じ病気を持った男の人と恋をするとは思えないから。
 あたしが病気だって知ってからも、美幸先輩はずっと変わらずに優しく接してくれる。それはきっと、生徒会の先輩たちと同じように、あたしの身体を気遣ってくれているからなんだろう。そんな美幸先輩の態度が、何も知らない人から見たら好きな女の子に優しくしているように見えるのかもしれない。一緒にいる時間が長いのは同じ会計監査だからで、2人きりで下校するのは単に家が同じ方角だからってだけなのに。
 美幸先輩には好きな人がいる。あたしは先輩が好きな人にも同じ誤解をさせてるのかもしれないんだ。あたしの病気のこと、学校のみんなが知ってくれたら、そんな誤解はなくなると思う。だけどそのために学校中にそれを話して回るほどの勇気はあたしにはなかった。
 程なくして一枝先輩が戻ってきてくれて、一緒に制服を洗ったあと、被服室でアイロンを借りて乾かした。お母さんに心配をかけたくないって言ったら、先輩たちが協力してくれたんだ。あたし本当に恵まれてると思う。ずっと優しくしてくれる先輩たちに、あたしは少しでも何か返すことができているんだろうか。
 美幸先輩が好きな人って、どんな人だろう。きっと一枝先輩みたいに明るくてかわいい人が美幸先輩には似合うんだろうな。
 美幸先輩の隣に一枝先輩がいるところを想像して、あたしはほんの少しだけ、さびしいような気持ちを味わった。