桜色迷宮20
 どこをどう歩いてきたのか記憶はなかった。気がつくとそこは生徒会室のドアの前で、汚れた手を制服のスカートでふき取ってノブを回したとき、中にいた河合会長と熊野先輩の姿を見て思わずその場に崩れ落ちてしまった。
「一二三ちゃん!」
「どうしたんだそのかっこうは」
 涙が出てきて、あたしは自分が泣いているのが判った。先輩たちがおろおろと戸惑っているのは判ったけど、今はこの場を取り繕う余裕なんかなかった。嗚咽交じりに食堂で転んだことと、誰かにカレーをかけられたことを告げると、その合間にも会長はあたしの顔と手をタオルでぬぐってくれた。
「一二三ちゃん、手をよく見せて。足も。怪我はしなかったのか?」
 会長はあたしのスカートをめくって膝を確認すると、ほっとしたように息をついた。あたしはほんの小さな傷でもすぐに病院へ行かなければならない。あとで自分でも確認しなければならないけど、手と膝に傷がないならたぶん大丈夫だろう。
「一二三ちゃん!」
 そのとき開けたままだった背後のドアから飛び込んできたのは、声しか聞こえなかったけど美幸先輩だった。
「誰ですか! 一二三ちゃんを泣かせて」
「落ち着けミユキちゃん。幸い怪我はないみたいだから。とにかく着替えた方がいいね。一二三ちゃん、体操着かジャージは持ってる?」
 1年中体育を見学しているあたしはジャージなんか持ってきていない。まだ声を出せなかったあたしが首を振ると、会長が続けた。
「それじゃ、オレのを貸してあげるから ―― 」
「会長、僕のがまだ洗濯して1度も着てないから、僕が貸します」
「それじゃ、一二三ちゃん。トイレで顔を洗って、ミユキちゃんのジャージに着替えておいで。ゆっくりでかまわないからね」
「……はい。すいません」
 ようやくそれだけ言うと、あたしは立ち上がって、生徒会室から1番近いトイレに向かった。