桜色迷宮10
「僕も1人っ子」
 そう言って笑った先輩は、あたしの呼び方を自然に受け止めてくれたみたい。たぶん、夜道で先輩の顔があまり見えなかったこともあるんだろう。しだいにあたしの緊張もほぐれていった。
「先輩はおうちに連絡しなくていいんですか?」
「僕は1人暮らしだから。両親はヨーロッパ行っちゃっていないんだ」
「そうだったんですか」
「誰もいないから気が楽でいいよ。そのうち遊びに来て欲しいな。できればみんな誘って」
「そうですね」
 さっきまで先輩といるのが気詰まりで仕方がなかったのに、それが嘘だったように話が弾んだ。あたしは先輩が微笑んでくれるのが嬉しくて、夢中になって生徒会のみんなのことを話していた。初めて先輩を見たとき、あんまりにも綺麗で、あたしはそれだけで萎縮してしまったんだと思う。でもこうして話している美幸先輩はごく普通の優しい先輩でしかなくて、まるで今までずっと側にいた人みたいに、あたしは先輩になじんでしまっていた。
「 ―― 熊野先輩と小池先輩はよくあたしをからかうんです。たいてい一枝先輩が助けてくれて」
「今度からは僕に言うといいよ。熊野先輩や小池には負けないから」
 自分でもすごく現金だと思ったけど、これから毎日先輩と一緒に帰れるのが嬉しく思えて。
 やがて到着した桜並木は、たぶんどこかの企業の庭先をこの時期だけ開放しているようなところなのだろう。桜の本数はたぶん50本もないのだろうけれど、それなりに人は多くて、出店もいくつか並んでいた。
「きれいだ」
 先輩が一言だけつぶやいて、あたしに2、3歩先行したところで足を止めた。ライトアップされた桜並木はまるで永遠に続いているかのような遠近感を持っていて、その手前にいる先輩の横顔があたしの目に入ってきたとき、あたしは不思議な感情にとらわれていた。