白石の城11
 過去に1度だけ、一二三にキスしたことがある。大河の種を取り出すためには宿主にキスするか、宿主とSEXするかしかないと知ったとき。誰よりも先に一二三の唇に触れておきたかった。そのとき初めて、自分の心の中に住み着いている猛獣の存在を知ったんだ。
 一二三のすべてを望んでいるのは僕の方だ。だからあれきり触れられなかった。何もかもめちゃくちゃに壊してしまいそうで、怖くて。
「一二三、顔を上げて、僕の方を見て」
 僕は一二三が座った椅子の背もたれに両手をついて、視線の位置を合わせた。顔を上げた一二三が息を飲んだのは、思いのほか僕の顔が近くにあったからだろう。一二三の涙はまだ止まらない。それでも必死で目を開ける一二三はけなげで愛しかった。
「昨日僕が言ったことを気にしているの? 最近ずっと笑ってくれなかったって。だから僕に謝るの?」
 一二三の左耳に入るように少し顔を傾けて、落ち着いた低い声を聞かせる。さっきのベスから学んだテクニックだ。一二三もいつもとは違うものを感じたようで、少し肩をすくめるようにしたあと首を振った。だけど声は聞けない。
「こんなに泣いて。一二三を泣かせているのは僕だね。でも、僕の前で泣いてくれるのも嬉しいよ。だって僕は、一二三のことなら何でも知りたいんだ。僕にどうしてほしいのか、それが知りたい。どうしたら、一二三が見ず知らずの人間よりも僕を選んでくれるのか」
 そう、言い終えたとたん、一二三がさっとうつむいた。あとは何を言っても首を振るだけだった。そのうちにベスと由蔵が夕食を運んできて、4人で広いテーブルを囲んで食べながらしばらく考えて判った。キーワードは「人間」だ。
 やはり、一二三の目の前で祥吾を殺したことが響いているのかもしれない。
「 ―― それじゃ、その宿主の子供が大河の子の可能性がある訳だね。そうじゃなかったとしても、少なくとも私たちと無関係じゃない」
 食後の同じテーブルで、僕の話を聞き終えたベスがそう言ったあと、口を開いたのは表面的には冷静さを取り戻していた一二三だった。
「もう1つ気になることがあるの。話してもいい?」
「いいよ。話してごらん」
「2人目の宿主の祥吾は、今月で36月目だった。それなのに、どうしてだか判らないけど、死ぬ直前に種が発動していたの。あたしを襲ったときの祥吾は、間違いなく種の殺人者の気配を放っていたから」