白石の城1
 気配を頼りに飛び込んだ路地で、最初に僕の目に入ったのがこちらに背を向けたまま怒声を上げる男だった。その男の向こうには、別の男の首にしがみついて、必死に力を抑え込んでいる一二三(ひふみ)がいる。2人目の男は既に種に支配されてはいたけれど、力は人間の馬鹿力程度だから吸血鬼の一二三にはかなわない。罵声を浴びせ続ける手前の男の口汚い言葉にも、一二三が怯んだりすることはなかった。
 手前の男は一二三をののしりながら、やがてナイフを取り出した。そして、身動きが取れない一二三に向かってまっすぐに走っていく。
「サエーー!!」
 刹那、怒りを意識する間もなく僕は男の何倍もの速度で男に迫り、ナイフが一二三の身体に届かないうちに脇腹に回し蹴りを喰らわせた。勢いで男の身体は宙に浮き、そのまま建物の壁に激突して意識を失う。一二三に刃物を向けた男を僕が許す理由はなかった。力を失った男の手にそれでもこぼれず握られたナイフを掴んで、僕は男の身体に突き立てた。
 空に浮かび上がる満月と、男が流す新鮮な血の匂いが僕を狂わせていたのかもしれない。いや、もしかしたら、この男が一二三にキスをしたと知ったときから、僕はこの男をそれ以上生かしておく気などなかったのか。不要なほどに何度もナイフを突き立てるうち、男のポケットから小さな箱がこぼれ落ちた。たとえ血にまみれていてもそれが何なのかは判る。中に入っているのは、おそらく一二三のために男が用意した指輪だった。
 こんな男など何度だって殺してやる。ナイフを握った右手が血にまみれてすべっても、かまわずナイフを落とし続けた。噴き出した返り血に視界を半分閉ざされて、ようやく僕は立ち上がる。きっと今の僕は、その名の通り鬼のような姿をしていることだろう。
「……美幸(よしゆき)! どうして ―― 」
 背後からの叱咤の声で、僕は振り返った。一二三が血まみれの僕の姿に言葉を失ったのが判る。頭の片隅の冷静な部分で、一二三に僕のこんな姿を見せたのが初めてだったことに気づいた。でも、たとえ嫌われたのだとしても、もう後戻りはできない。
「一二三、そこをどけ。時間がない」
 今、誰かに見られたら、僕は殺人犯として追われることになる。だからもう1人の男も殺してさっさとここを離れなければならない。
 だけど一二三は動かなかった。たかが人間、たった1人のその男を助けたいという強い意志を持って、僕に逆らって見せたんだ。