幻の恋人・最終回
「一二三はきっと、大河のことでとても疲れてるんだね。無理もないよ。一二三はもう2年以上もこんな生活を続けているんだから。……僕は一二三のためなら何でもする。必要なら何人だって殺してあげる。だからもうやめよう。今いる宿主を全員殺して、大河をつれてあの屋敷へ帰ろう。僕はもう、君が人間と関わって苦しむ姿は見たくないんだ」
 ……ああ、やっぱり、あたしと美幸とは違う。知らず知らずのうちにあたしは美幸が触れている手を引き戻していた。
「苦しい、けど。……あたしはやっぱり、自分が助けられる人間は助けたいよ。助けられるのが判ってるのに、やめたりできない」
 それに、今人間が種の脅威にさらされているのは、ぜんぶあたしのせいなんだ。あの時現実を受け容れられなかったあたしの弱さが、大河を特殊な吸血鬼に変えて、殺人の種を広めてしまった。自分がしでかしたことを償わずに帰ったって、あの屋敷の中であたしは平穏に暮らすことなんかできないよ。すべてを忘れろといわれてもあたしには忘れることなんかできないんだ。
 祥吾のことも、犠牲になったたくさんの人たちのことも、あたしは忘れられない。そして、これから増え続ける種の犠牲になる尊い命のことを忘れるなんて、もっとできない。彼ら人間には、あたしたちがぜったいに得ることのできない未来があるのだから。
「……そうやって、一二三はいつも僕よりも人間を選ぶ。これでは何も変わらないね」
 美幸の表情が、いつもの優しいだけの微笑みに覆われていく。いったいどうしたら判り合えるんだろう。美幸が人間だったときの感覚を思い出すか、それともあたしが人間の感覚を捨てることができなければ、あたしと美幸は何も変わらないままなのかもしれない。
「いいよ。君の気が済むまで僕は付き合うから。その代わり、ずっと僕のそばにいてほしい。……僕から離れないで、一二三」
「……うん」
 そうして美幸は、約束された永遠をあたしに約束させる。美幸の長い孤独が垣間見えるから、あたしは頷かずにはいられない。

 美幸とあたしは、判りあえない恋人。あたしは美幸を好きなのに、美幸もあたしを好きだといってくれるのに、互いの気持ちが判らない。
 美幸が見ているあたしは、いったいどんな姿をしているのだろう。美幸が望んでいるあたしは? あたしが見ている美幸と、本当の美幸とは同じものなのだろうか。あたしは美幸に、美幸はあたしに、自分自身が望む幻を映しているだけなんじゃないだろうか。
 祥吾にとってサエは幻の恋人。でもそれは、あたしと美幸にこそふさわしい言葉なのかもしれない。

  ―― 了 ――