幻の恋人19
 満月の夜から一両日、この3日間のことを、美幸は満月期と呼ぶ。あたしたちの身体は月の満ち欠けに支配されていて、この3日間は肉体の能力が最大限に発揮されるんだ。身体だけではなくて心も月の影響を受ける。理性のたがが少し外れるような感じで、だからほかの人から見るとまるで人格が変わったように見える、
 満月期がくるとあたしの気持ちもかなり楽になった。人をだますことへの罪悪感や、うしろめたさをあまり感じなくなるから。思っていることを口に出すのも簡単になる。満月期が過ぎるとそれも後悔や羞恥心に変わるのだけど、そのときの高揚感は口では説明できないものだった。
 満月の木曜日、美幸は3人目の宿主である主婦の家へと出かけていって、あたしは1人目の宿主、広田という会社員を尾行していた。会社帰りの広田は道を歩きながらケータイの画面を見つめている。溜息をついたのは、恋人からのメールでも入っていたのか。ケータイをポケットに戻して駅までの道を歩き始めた広田について、気づかれないようにあたしも電車に乗った。
 以前尾行したときには、こうして電車に乗った広田は、自宅の最寄り駅でコンビニに寄っていた。でもこの日の広田は途中の駅で降りたんだ。その駅が祥吾のライブハウスがある駅で、あたしは少しだけ気になったのだけど、時刻を確認していくぶん胸をなでおろす。今は7時より少し前というところで、祥吾は既にライブハウスに入っているはずだったから。
 美幸にメールで報告したあと、駅前のレストラン街を物色し始めたのを確認して、あたしは広田に先行した。同じようにウィンドウを眺めていたあたしの姿を見て広田が足を止める。広田があたしに見とれている視線を感じた。数秒間その視線を受けたあと、あたしが振り返ると、広田は少し戸惑ったように視線を外した。
「あの……」
 あたしが声をかけると、最初自分が話しかけられたと思わなかったんだろう。少しだけあたりをきょろきょろして、あたしに視線を戻す。
「もしかして、お1人でお食事ですか?」
「あ、はい。そうですけど」
「あの、いきなりぶしつけとは思うんですけど、よろしかったらご一緒しません? 私、今日は恋人に振られてしまって独りなんです」