幻の恋人17
 あたしの手を掴んだまま、祥吾は路地を出て歩いていく。だんだんいろいろなことが飲み込めてきて、緊張が解けたのだろう。歩きながら祥吾が話し始めた。
「オレさ、今、詩を書いてる」
「詩? ……もしかして、歌の歌詞?」
「そう。初めてなんだけど、メンバーの誰にも訊けなくてさ。オレ、みんなの前で思いっきしバカにしたことがあるんだよ。矢部っちの奴、カノジョができたとたんにバラードなんか書きやがったから。……その気持ち、今ならすげえ判る気がする」
「……それって、あたしの歌なの?」
「ああ。サエのために書いてる。だから完成したらぜったいおまえに聴かせるからな。楽しみにしてろよ」
 たぶん、祥吾のバラードが完成することはないだろう。美幸は既に祥吾の記憶を消すつもりでいるから。……もしも、もしもこの次の満月まで種を取り出すのを待つことができたら、祥吾のバラードは完成するかもしれない。
 駅で切符を買ったあと、改札の前で別れ際にあたしは言った。
「今度の木曜日ね、うちの両親が一泊旅行なの。お姉ちゃんの初ボーナスのプレゼントで」
「へえ、そんじゃ、久しぶりにライブにこれるな?」
「ううん、ライブは無理だと思う。あたしが夜遊びしてないか、電話で確かめるって言ってたから。……でもね、そのあとならあたし、出られるかもしれない。たぶん10時ごろ」
 少し顔を赤くして目を伏せて見せる。それだけできっと、祥吾にはサエの決心が判っただろう。祥吾の息を呑む気配が伝わってくる。
「駅についたら、電話するから。……迎えに来てくれる?」
「あ、ああ、必ず行く! 待ってるからな、ぜったい来いよ!」
 一瞬だけ笑顔を見せて、あたしはまるで逃げるように走って改札を通り過ぎた。あたしを信じ切っている祥吾の目を見るのが苦しかった。この2年、ずっと人をだまし続けて、慣れてもいいはずなのにこの瞬間にはいつも慣れることができないから。早く満月の夜がくればいい。