幻の恋人9
 美幸とのアパートに帰るとほっと息がつける。ずいぶん慣れてきたけど、やっぱり人間の血管だらけの顔をずっと見続けているのは緊張するから。少し遅れて帰ってきた美幸に、あたしはこれまでの祥吾のことを簡単に報告した。
「もしかして、少し疲れてる?」
「……うん、少しだけ。サエが明るすぎて、あたしとぜんぜん違うから」
 本当はもう少しクールな感じの女性を演じたかった。でも、祥吾が意外に子供で、あたしも引きずられたようなところがある。実際この1週間で、あたしと祥吾は5回も会っていた。それだけの時間ずっと明るい女の子を演じているのは正直疲れると思う。
「祥吾が一二三に深入りするのはちょっと困るね。今からでも少し距離を置くようにした方がいい。場合によっては記憶操作が必要になるかもしれないから。とりあえず、誰かに引き合わされたとか、そういうことはない?」
「それはないよ。どちらかっていうと、バンドのメンバーともできるだけ接触させないようにしているみたい」
「……それは、ある意味都合がいいとも言えるけど、別の見方をするとものすごく都合が悪いとも言えるな」
 美幸の意味深な言い方に、あたしは首をかしげた。ちらりと上目遣いであたしを見た美幸が、見ようによっては少しすねているように見えて、あたしは驚いてしまった。美幸はいつも落ち着いた表情をしていて、17歳の肉体年齢よりもずっと大人に見えていたから。美幸でも子供っぽい顔をすればちゃんと17歳に見えるんだ。
「美幸?」
「なんでもない。……君に見とれていて、そのうちにちょっと嫌なことを想像して、独りでムカついていただけだから」
 あたしがたった6年、美幸以外の人の顔をまともに見られないだけで、こんなに疲れる。美幸はあたしがいない長い時間、ずっと誰の顔もまともに見えなかった。きっとあたし以上に美幸は、まともに見えるあたしの顔を見てほっとしているのだろう。
「とにかく必要以上に接触しない方がいいね。できれば満月の夜まで会わないでいてほしいよ。その方がタイミングも掴みやすいし」
 美幸の言うとおりだと思う。満月までのあと1週間、1度も会わなければ、呼び出したときにはどんな用事があってもくるだろう。満月の木曜日がライブの日と一致しているのも幸運だった。今の状況なら祥吾を呼び出すのはさほど難しくないかもしれない。