幻の恋人4
 5年前に初めて出会って、そのあと殺してしまったと思い込むまでの数週間、あたしは1度も大河の顔を見たことがなかった。顔が見えない大河といるとほっとできた。なぜならあたしの目は、普通の人間の顔を普通に認識することができなくなっていたから。
 人間には見えない波長の光を、あたしたちの目は捉えることができる。その理屈はあたしにはうまく説明できない。人間の血液を食料にするあたしたちは、身体に流れている人間の血管を正確に見ることができるんだ。もちろん人間の顔にも血管は無数に走っていて、皮膚の上にそれが透けて見えるような状態だから、6年前に変化を終えて目覚めたあとのあたしは軽いノイローゼになっていた。
 大河はけっして自分の顔を他人に見せなかった。14歳の少年だった大河は常に仮面をつけていて、だからあたしは大河の顔を1度も見たことがない。今、あたしが宿主の前に姿を現わすと、高い確率で「以前に会ったことがある」と言われる。大河の元の顔は判らないけど、きっと大河もあたしと同じ吸血鬼の特徴を持った顔に変わっている。
 宿主のことを調べると、3年前の大河がどんな生活をしていたのが、おぼろげにでも知ることができる。人間という食料を得るために大河は夜の繁華街で援助交際のようなことをしているのだろう。声変わりもまだだった大河は女の子の振りをしているのだと思う。だから3人目の宿主が2人の子を持つ32歳の主婦だというのは不思議な気がした。
「大河、趣味変わった?」
 今までは大人の男の人が多かったんだ。しかも回りに「顔がいい」って言われているような人。もちろん人間の顔がちゃんと見えないあたしには確認できないんだけど。
「趣味の問題なのかな。ただ、主婦はけっこう引っかかりやすいよ。僕も以前はかなり助けられたから、理由があるとすればこっちかな」
 種のことが起こる前の美幸を思い出して、あたしは顔を伏せた。あたしが人間でいるときも、この身体になってからも、美幸は満月の夜には女性とホテルに行っていた。たぶん美幸には少しの罪悪感もないのだろう。軽く口に出すその一言が、どんなにあたしを傷つけてるのかなんて、想像すらできないのだろう。
「……それじゃ、あたしが1人目と2人目、美幸が3人目でいいよね。……さっそく行動範囲調べてくる」
 顔を伏せたままそう言って、あたしは今ではたった1人まともに見える美幸の顔を再び見ることもなく、アパートを出て行った。