幻の恋人2
  ―― 吸血鬼
 そう、この世界には、あたしたちの存在をたった一言で言い表すことのできる言葉がある。人間の生き血をすすり、並外れた肉体能力と美貌を持ち、永遠の命を生きる。太陽の光を嫌い、十字架を恐れ、闇の中に隠れ棲む。けっして忘れることのできない残酷な言葉。
 人に災いをなす鬼の名前を与えられているのもとうぜんだと思ってる。だって、あたしたちは人間を「食べる」のだから。自分を食べる生物を受け入れることなんかできるはずはない。1度食料として見て、見られてしまったら、そこに友情や信頼が入り込むことはできない。
 確かにあたしたちは人間の生き血をもらわなければ生きていけない。月に1度、満月の夜にあたしたちは「餓える」。もしも食料が手に入らなかったら、餓え続けたあたしたちはやがて発狂する。そのあとどうなるか試した人はいない。
 あたしたちは、並外れた肉体能力を持っている。脚力、ジャンプ力、腕力などすべて人間をはるかに凌駕する。それと凄まじいほどの治癒力。その代わり、人間のときに持っていた生殖能力は失われた。
 人間はあたしたちを見て美しいと感じる。あたしの顔は、人間でいたときとはまったく変わってしまった。全身からほくろやアザ、傷跡が消えて、知っている人が見ればひと目で「吸血鬼」だと判る特徴を持つ顔つきになった。まったくの他人であるあたしと美幸とが似ているのはそのせいだ。もしも人間でいたときのあたしの知り合いと道で偶然すれ違っても、もうあたしだと気づかれることはないだろう。
 美幸に変化を促されたあのときから、あたしは成長を止めた。もう6年近く経つから、外見は15歳でもあたしは21歳になっている。
 太陽の下で活動できない訳じゃない。でも、夏の直射日光は以前より苦手になった。十字架もニンニクも怖くないけれど、人間でいたときよりも食事の量は少なくなった。それでも人間で小食だといえるほどのレベルだけど。
 1つだけ、人間の伝承と明確に違うことがあるとすれば、「吸血鬼に血を吸われると吸血鬼になる」というものだ。血を吸うだけならあたしたちは人間を吸血鬼に変えたりはしない。美幸があたしに施したように、明確な意思を持って変化を促さない限り、人間は吸血鬼に変わったりしない。
 だけど物事には必ず例外がある。あたしは5年前のあの日、自分ではまったく気づかないうちに、大河(たいが)を吸血鬼に変えてしまった。それも、人の血を吸うたびに殺人の種を蒔いていくという、恐ろしい吸血鬼に。