祈りの巫女32
(え……!)
 膝が崩れるような感じがあって、ずぶずぶと吸い込まれるように、腰から下が何かに埋まってしまった。冷たくてドロドロしていた。瞬間的にあたしは悟った。ここ、沼だったんだ。暗くてよく見えなかったけど、森の木が途絶えた一帯が大きな沼地になっていたんだ。
 ほとんど無意識のうちにあたしは両足を動かして、必死で沼から抜け出そうとしていた。でも、両足はむなしく泥の中を空回りするだけで、身体は動けば動くほどどんどん沈んでいく。身体の向きを変えようとしてもぜんぜんうまくいかなかった。ほんの短い間なのに、いつの間にか胸のあたりまで埋まってしまっていた。
「誰か! 誰か来て! 助けて!」
 叫んだけど、こんな森の中、誰かが偶然通りかかるはずなんかなかった。森の入口に向かって叫べばもしかしたらマイラが気付いてくれるかもしれない。でも、この泥の中では身体の向きを変えることもできないんだ。母さまの言うことをきいておけばよかった。この森は危ないって、母さまはこの沼のことを言いたかったはずなんだから。
 向きを変えられたら岸にすがりつくことができるかもしれない。そう思って必死で泥を掻き分けた。そしてやっと身体が半分だけ岸の方を向いた。この頃にはもう泥は肩のあたりまできていた。そのとき、振り返って見たその風景 ――
  ―― 大丈夫、頑張って、ユーナ
 耳の奥から聞こえた声で、あたしは思い出していた。冷たかった沼の泥と、暖かかったあの手のこと。
(……シュウ)
  ―― 落ち着いて、ほら、この蔓草をしっかり掴んで
  ―― ぼくが押してあげるから
  ―― ユーナならできるよ、ぼくが助けてあげる
 思い出した。ずっと忘れていた、6歳よりも前の記憶を。