蜘蛛の旋律・137
 新都市交通の駅の向こう、昔アフルとドライブした通りに新しくできたカレー屋に落ち着いて、オレは黒澤の話を聞いていた。あの頃の黒澤は嫌味なオバサンにしか見えなかったけど、今見ればそれなりにかわいいと思う。オレの見る目が変わったのかもしれないし、もしかしたら黒澤自身、相手に合わせて違った面を見せてるのかもしれない。
「 ―― 今回は話的には割と楽な方だったんだ。でも、毎日連載はやっぱきついよ。今回からメルマガも始めちゃったしね。HPの時と違って、気軽にお詫び出せないし」
 オレは黒澤に、自分のことはほとんど話していない。だから知らないだろう。黒澤弥生がオレのペンネームだってことは。
「『永遠の一瞬』の最終回、読む?」
 読む必要はないんだ。そこに書いてあるのは、オレが昨日書き上げた小説そのままなのだから。
「いいよ。メルマガの方で楽しみにしとくから」
 黒澤はちょっと残念そうな表情を見せた。
 高校の頃、オレが初めて書いた小説は、シーラが主人公のスパイ小説だった。だけど、その小説は初めて小説を書く人間が完成させられるほど、甘い小説じゃなかったんだ。けっきょく書き上げることができなくて、オレはもっと簡単な小説をいくつか書くことになった。オレ自身のオリジナル小説を何編か完成させたあと、野草の葛城達也が出てくる長編小説を書いた。
 数年後に『地這いの一族』を書き上げて、オレがこの黒澤弥生に出会ったのはちょうどその頃だ。オレが書いた小説を、そっくりそのまま同時に書いている黒澤弥生。この黒澤は、オレの黒澤弥生だった。野草のキャラクターじゃなくて、オレ自身が生み出したキャラクターだったんだ。
 オレの下位世界が、現実世界に影響を与えてできたキャラクター。まだ、葛城達也は実在しないし、このあたりの風景も変わらない。だけど、オレの下位世界は現実世界を変え始めている。黒澤弥生は、オレが一歩野草に近づいた、その証のようなものだったんだ。
 これから先オレがもっと自分の下位世界を広げていけば、やがて世界を変えることができる。シーラを、実体化させることができる。
 オレはシーラに会うことができるんだ。