蜘蛛の旋律・135
 水曜日は中間試験の初日で、3時間の試験をこなしたオレは、駅前で軽い食事をとって電車とバスを乗り継いだ。公団住宅前でバスを降りて、メモを頼りに部屋を探す。部屋は程なく見つかった。誰もいないかもしれないとも思ったけれど、幸い部屋には野草の母親がいて、野草の友人だと名乗るとひどく驚いたようにオレを招きいれてくれた。
 実年齢よりもだいぶ老けた風に見える母親は、野草のことについてはあまり話したくないように口を閉ざしていた。あの時巫女は、野草が母親にさえ恐れられていたのだと語った。オレは形式どおり、仏壇に線香をあげて手を合わせて、出されたお茶を飲む。野草の部活仲間であること、彼女の作品を好きだったことなんかを簡単に話して、野草が生前書いた小説があれば読ませて欲しいと切り出した。
 まだ、なにも片付けてはいないのだと、母親はオレを野草の部屋へ入れてくれた。殺風景で、よけいなものが何ひとつない部屋だった。ワープロは勉強机の上に置いてある。触ってもいいかとそれだけ確認して、オレはデスクに腰掛け、ワープロのスイッチを入れた。
 起動のためのFDを入れ替え、画面の変化を見つめる。ケースにはいくつかのFDが入っていて、番号だけがふられたFDの1番を入れて呼び出してみた。だけど、そのFDはフォーマットされていたのだ。12番まであったけれど、そのすべてがフォーマットされて、中にはなにも入っていなかったのである。
 オレは再び許可を得て、机の引出しや棚に別のFDがないかどうか、丹念に探し始めた。野草がオレたちに読ませてくれた小説はプリントアウトされてたから、その原稿もあわせて探した。だけど、その広くない部屋の中には、野草が書いた小説に関するすべてのものが存在しなかったのだ。メモ用紙の1つも、ノートの片隅にも、小説といえる一切のものは消えてなくなっていたのである。
 野草は、誰かがここにくると思って、小説をすべて処分したのか?
 それとも、野草のキャラクターの誰かが、何かの意図をもって処分したのか ――

 オレはもう、野草の小説を読むことができない。シーラの小説は処分されてしまって、オレの記憶の中にしかないんだ。オレは二度とシーラに会えない。オレが初めて恋をしたあのシーラには、もう二度と会うことができないんだ。
 シーラに会いたかった。二度と会えないことを知ってしまったから、オレはよけいにシーラに会いたくてしかたがなくなってしまったのだ。

 そしてオレは、自分の記憶だけを頼りに、まるで取りつかれたようにシーラの小説を書き始めたのだ。