蜘蛛の旋律・136
 卒業、進学、就職、恋愛。
 野草がいない時間も順調に過ぎて、あれから既に10年が経とうとしていた。
 オレは今、仕事をしながら、黒澤弥生の名前で小説を書いている。

 仕事帰りのその足で、オレは1人の女性に会うために車を走らせていた。会うのは約2ヶ月ぶりくらいだ。ずっと書き続けてきた小説が昨日やっと上がったから、そのねぎらいの意味も込めていた。
 世間ではクリスマスが近づいて、彼女の家に続く国道傍もなんとなく華やいでいる。大きな橋を渡って、ガソリンスタンドの角を曲がって、次の県道を突っ切る。この道もずいぶん変わったと思う。シーラと走ったあの頃は、あんなに大きな会社はなかったし、あのパチンコ屋もこんなにきれいじゃなかった。
 バス停前のわき道を入ってすぐのところに路上駐車をした。歩いて再びバス停まで戻って、向かいへ渡ると目の前に1つのアパートがある。初めてこのアパートを見つけたのは3、4年前だったか。それまで空き地だったはずの場所に、築10年は経ってるだろうアパートを見つけて、オレは驚いて膝が震えてきたのを覚えている。
 今は、そんなことはない。いつもの通りそのアパートに近づいて、黒澤の表札がかかった部屋の呼び鈴を押した。ややあって飛び出してきたのは、オレより少し年下くらいに見える、1人の女だった。
「やあ、巳神君久しぶり! ちょうどいいタイミングだね。昨日だったらあたし出られなかったよ」
 笑顔で話す黒澤弥生。オレは心の中で苦笑しながら言った。
「小説書き終わったのか?」
「うん、昨日ね。もう、やっと終わったー! って感じ。しばらくは小説なんか書きたくないかな」
「夕飯まだだよな。出られそう?」
「大丈夫。車で待っててくれる?」
 たまに思い出したように黒澤弥生を食事に誘うのが、最近のオレの密やかな楽しみになっていた。