蜘蛛の旋律・134
 『蜘蛛の旋律』という物語そのものは、1000年後の社会の政治的問題点や思想を絡めたSF恋愛小説で、雑誌の投稿にあった3人の読者の批評は嘘じゃないと思うくらいにはおもしろかった。だけどそれとは別に、オレは気付いたんだ。その1つ目は、この小説が野草の作品だったということ。
 今まで1年半、オレは毎月野草の作品を読み続けてた。だから野草の言い回しや文章の癖が身についてしまっていたんだ。作者名も違うし、作風そのものもかなり違うのだけど、これが野草の作品に間違いないって自信はある。野草はオレたちには内緒で、出版社と契約してこの本を出していたんだ。
 そして、もう1つオレが気付いたこと。物語の中に出てくる伝説の神ミュー=ファイアは、あの葛城達也だ。もしかしたらオレは、ミュー=ファイアが葛城達也だと気付いたから、この物語が野草の作品だって確信したのかもしれない。
 1000年前に未曾有の災害に襲われ、ほとんどの人間が死滅したあとの1000年後の世界。小説の中には災害がいつ起こったのか明記されてはいないけれど、野草の中ではちゃんと設定されていて、なおかつ葛城達也がこの災害を引き起こすきっかけになっていたのだろう。死ぬ直前、野草が言った「あの小説」とは、この『蜘蛛の旋律』だったのだ。野草は数年後か数十年後かに人類が死滅する小説を書いていたから、自分が死ぬしかなかったんだ。
 今、世界は元に戻っていて、葛城達也もいないし城河財閥も存在しない。葛城達也が存在しない以上、災害が起こることはないのだろう。だけど、野草の作品そのものは残っている。『蜘蛛の旋律』も、野草が文芸部で書き続けていた、たくさんの短編も。
  ―― もしかしたら、野草の作品はまだあるんじゃないのか? オレが読んだシーラやアフルや巫女の小説も、オレがまだ読んだことのない、片桐信やその他の多くの小説も。
 野草はいつも自分のワープロで小説を書いてた。そのワープロの中には、野草の未発表作品が眠っているかもしれないんだ。
 そこまで思って、オレはいてもたってもいられなくなってしまっていた。
 そして、野草の初七日が過ぎる水曜日を待って、再び野草の自宅を訪ねてみることにしたのだ。