蜘蛛の旋律・132
 丸1日の検査入院。その日のうちにオレは帰宅を許され、翌日1日だけ学校を休んで、木曜日には普段どおりの電車に乗った。JR駅からバスに乗り換えて20分。バス停の向かい側は空き地になっていて、黒澤弥生が住んでいたアパートそのものが野草の創作だったのだと知った。裏道を通って、新都市交通通学の生徒の列と合流して、長い坂を下る。沼を渡る橋の手前に県立沼南高校入口の看板。タケシの車が激突した校門も、何事もなく元のままだった。
 クラスのみんなはもしかしたらオレにいろいろ訊きたかったのかもしれない。だけど、オレは半分夢の中にいるようにぼんやり考え込んでいたし、声をかけられても満足な受け答えができなかったから、みんなもオレに気を遣ってたんだろうな。そんな調子だったから、オレが野草の彼氏だったっていう噂が、もっともらしく囁かれもしたらしかった。
 そして翌日の金曜日、野草の葬式があった。
 文芸部の顧問に引率されて、オレは初めて野草の自宅近くを訪れた。新都市交通終点の乗換駅からJRで10分、更に15分ほどバスに乗る。葬儀は公団住宅の集会所で執り行われていて、そのときオレは初めて、野草が母子家庭のひとりっ子だと知ったのだ。野草の母親は夜中のビル清掃の仕事をしていたから、病院に駆けつけられなかった。その母親は喪主の席に呆然と座っていて、誰も声をかけることはできなかった。
 遺影の写真は、夏の合宿で撮った集合写真。オレは前から何度もその写真を見ていたのだけれど、今、花に囲まれてぼんやりこちらを見返す野草を見ても、なぜか本人のような気がしなかった。……野草は、本当に生きていたのか? 文芸部で小説を書いていた。長編小説をオレたちに披露してくれた。あの下位世界で野草は確かに生きていたんだ。現実の野草は、果たして本当に生きていたって言えるのか?
 あの不思議な夜を境に、オレの中での野草の存在は、明らかに変化していたんだ。オレにとっての野草は、文芸部で独り本を読む野草じゃなくて、葛城達也に抱きしめられて満足そうに死んでいった、あの野草なんだ。
 このあとも数日の間、オレは読書も試験勉強もまったくしないで、ひたすらあの夜と野草のことを考え続けていた。