蜘蛛の旋律・131
 すべてを無に喰い尽くされた空間に、オレは1人浮かんでいた。
 野草と葛城が塵と消え、その残像すら消えてからは、オレの周囲にはなにも存在していなかった。無の空間は限りなく続いていて、今までそこに何かがあったという痕跡も、気配もない。野草の下位世界は消えてしまったのだ。ここは世界が死んだ場所。世界の終わりの姿だった。
 この空間を作ったのは野草だったのだろうか。それとも、別の誰かが用意した場所に、野草が世界を構築したのか。人間が触れることのできない物質で形作られた下位世界。ここにはまた誰かの下位世界が生まれたりするのだろうか。
 オレがぼんやりと考えていた時間は、それほど長くはなかった。間もなく、誰かの呼び声と身体を揺すられるような感覚があって、一瞬の空白のあと、オレは目を覚ましたのだ。
  ―― 眩しさに目を細めると、オレの目の前に誰かが立っているのが見えた。
「巳神君、起きた……?」
 なんだか頭痛がする。オレはいったい何をしていたんだろう。
 しっかりと背筋を伸ばして顔を上げると、目の前にいるのが1人の看護婦だと判った。目に涙をためて、唇をゆがめている。……思い出した。オレは集中治療室で治療を受ける野草が気になって、廊下の長椅子で様子を聞いていたんだ。
「巳神君……ごめんなさい。薫さん、助けられなかった……」
 看護婦はオレの両手を握っていて、その重なり合った手の甲に、彼女の涙が落ちた。……そうか、野草は死んだんだ。野草の最愛のキャラクター、葛城達也に抱きしめられて。
「……看護婦さんが悪いんじゃないです」
 なんとか、それだけを伝えて、立ち上がったオレはそのまま自分の病室に戻った。オレを邪魔する人は誰もいない。アフルも、シーラも、再び現われることはないだろう。
 ベッドに潜り込んだオレは爆睡して、夢を見ることはなかった。