蜘蛛の旋律・129
 周囲を無の空間に囲まれた小さな世界。ゆかはちょうど丸い形に残っていて、天井は既になかった。地理室へ続くドアの前に、葛城達也と野草がいる。まるで、舞台装置の前でスポットライトを浴びている、主役の恋人同士のようだった。
 オレの中の言葉は既に使い果たされてしまっていて、ひとつも残ってはいなかった。……判っちまったんだ。野草が書いていた葛城達也の未来の小説。その世界で、おそらく葛城達也は不特定多数の人間の命を奪っていたんだ。
 すべてを破壊に導く葛城達也というキャラクター。彼も野草の願望の一部だ。野草はすべての現実を破壊したかった。その願いは幼い葛城達也を生み、少しずつ育てて、やがて世界を破壊できるまでに成長させてしまっていたのだ。
「ようやく判ったみてえだな。最初から貴様に勝ち目なんかねえんだよ」
 これから先、野草が生きているだけで、現実世界は破壊されてしまう。野草にとってはどちらも同じことだったのだ。自分が死ぬことで現実世界を救えるのなら、その方がいくらかでもマシだったのかもしれない。
 最初から、オレに勝ち目はなかったんだ。
「野草、本当に、なんにも、方法はないのか? 例えばお前の葛城達也に関する記憶だけを消すとか」
「おい、巳神。今それができるのは俺だけだぜ。なんで俺が自分だけ死ななきゃならねえんだよ」
 諦めかけていたオレの言葉に答えたのは葛城だった。そして、その言葉こそがオレに新たなインスピレーションを与えてくれたのだ。
「アフルならできるんじゃないのか? 野草! 今だけ生きてくれよ! そうしたら現実世界のアフルも復活できる。お前が死ななくても葛城達也を消すことができるかもしれないじゃないか!」
 アフルはタケシの記憶を蘇らせる能力があると言った。アフルの感応力はもしかしたら葛城を凌ぐかもしれない。野草の下位世界は野草の記憶と願望に依存してるんだ。記憶さえ消えてしまえば、現実世界への影響だって消えるはずなんだ。
「往生際の悪い男だな。そんなにシーラに会いてえのかよ」
 葛城達也に図星を突かれて、オレは硬直してしまった。