蜘蛛の旋律・128
 虚無は既にアフルを塵に変え始めていた。だけどオレはアフルから目を逸らすように野草を振り返った。今まで、まるで夢の中にいるように虚ろだった野草の顔。だけど今、野草はしっかりと目を開けて、今まさに塵に変わろうとしているアフルを見つめていたのだ。
「野草、まだ間に合う! お前が一言生きるって言ってくれたらすべて元に戻せるんだ! アフルを救うことができるんだ!」
 オレ自身、自分の言葉を100パーセント信じることはできなかった。理屈では野草の下位世界が元に戻ればキャラクターも生き返ることは判ってる。だけど、目の前で見たシーラの死は、オレに1パーセントの不安を植え付けてしまっていた。
「葛城に惑わされるな! お前が死ななきゃならない理由なんか全然ないんだ!」
「4人」
「野草!」
 アフルの死を一部始終見守ったのだろう。野草はゆっくりと視線を移動させて、まっすぐにオレを見つめた。野草は必ず生きると言ってくれる。まるで祈るような気持ちでそう信じたオレに、少しの時間を置いて、野草は言ったのだ。
「……もう、遅いんだ。あたしは、あの小説を書き上げちゃったんだ」
 言葉の意味を掴み切れなかった。絶句したオレに野草は続けた。
「あたしは達也を作っちゃったんだ。……だから、達也を殺さなきゃいけない。達也と一緒に死なないといけないの」
 葛城達也が人を殺し続けることを言ってるのか? 野草が書いた小説の中で、葛城達也はこれからも更に多くの人間を殺すのか。
「そんな小説書き直せよ! お前が小説を書いてこいつを殺せばいいんだ! なにもお前まで一緒に死ぬことはねえだろ?」
「5人!」
 葛城の言葉に反射的に振り返ると、既に片桐の姿は影すらもなくて、虚無の同心円は半径2メートルのところまで迫ってきていた。
「ダメ、なんだ。……あたしが一度書いた小説は、ぜんぶ現実世界に残る。たとえ書き直してもパラレルワールドが増えるだけなんだ」
 野草の言葉は真実だった。シーラには、現実の記憶だけではなく、パラレルワールドの記憶も残っていたのだから。