蜘蛛の旋律・127
 虚無は、野草を中心とした同心円を描くように、部屋の中に侵攻している。巫女と武士は一番野草から遠いところにいたんだ。2人とも、野草が生きる希望を持つことを願って、こんなに遠くまでやってきた。オレは実際のところかなりのショックを受けていたのだけど、この2人のために泣いてやる時間も、死を悼むだけの時間もなかった。
 虚無は部屋の隅から触手を伸ばして、壁伝いに広がってゆく。その両側にいるのはアフルとシーラ。葛城は見えない力で2人を壁に押し付け、身体の動きも声すらも奪っていた。
「野草! 今だけでもいい、頼むから生きるって言ってくれ! オレにはお前のその一言が必要なんだ!」
「薫、お前は俺だけがいればいいんだろ? お前の人生には巳神は必要ねえよな」
 シーラが、虚無に飲み込まれる ――
「野草、目を醒ませよ! お前が小説に書いたんじゃねえか! 葛城達也はぜったい人を愛したりなんかしない。こいつはただ自分が死にたいだけなんだ! お前は利用されてるんだ!」
 目の前で展開されている光景に、オレの目は釘付けになっていた。
 シーラの綺麗な顔は、今や恐怖一色に染められていた。虚無は資料棚を食いつくし、シーラの指先から肘に向かって、音もなく塵へと変えてゆく。肩へ、長い髪へ、そして、その綺麗な頬までも。
 声にならないシーラの叫び。震える唇はひとつの名前を形作る。やがてその唇さえも塵と化してゆく。オレに微笑んだ唇。オレに、キスした唇。
 オレは彼女の名前を呼ぶことができなかった。 ―― 死の直前、シーラが口にしたのは、タケシの名前だった。
 ……ああ、そうか。タケシは間に合わなかったんだ。シーラはたぶんずっと待っていた。タケシがシーラを救いに現われるその時を。
「3人」
 脱力して呆然としたままのオレを我に返したのは、人の嫌悪感を逐一刺激するような、葛城のその声だった。