蜘蛛の旋律・124
 オレは、その小さな声を聞き逃すまいと、息さえ潜めて見守っていた。
「巳神君も、シーラも、達也も嫌い。……あたしの思った通りになる世界なんかいらない。許してくれなくてもいいよ。あたしが悪かったんだから。達也を作ったあたしが悪かったんだ……」
 そう言って野草が葛城を抱きしめるようにすると、葛城はちょっと驚いたように野草を覗き込んだ。
「薫……? お前は俺を愛してるんじゃないのか? 巳神よりも俺を選んで、一緒に死のうと言ったんじゃねえのか?」
「達也が好き。あたしには、達也だけいればいいよ。巳神君なんか嫌いだもん。世界で一番嫌いなんだから」
 自分の下位世界にいる野草は、普段とはぜんぜん違って支離滅裂だった。これはもしかしたら野草が自分の夢の中にいるからなのかもしれない。野草は今、事故で生死を彷徨いながら、夢を見ているんだ。
「嫌いでもいいよ野草。だけど、葛城と一緒に死ぬなんて言うな。オレはもっとお前と話したいことがたくさんあるし、読みたい小説も山ほどあるんだ。……なあ、野草。お前はオレにそっくりな片桐信を作って、オレと戦おうとしたんじゃないのか? 片桐が出てくる小説を書いて、片桐の個性とぶつかりあって、物語を作ることでオレと勝負したかったんだ。その勝負でオレに勝って、オレをねじ伏せて、自分を守って。……だけどさ、そんなことしなくたって、お前はいつでもオレと戦えるんだ。現実にオレは生きていて、お前が挑んできたらいつだって受けて立ってやる。どっちが勝つかなんかまだ判らないけど、それが判らないままでお前は死んでもいいのか? オレだったらぜったいごめんだ! 勝敗が判らないのに自分から勝負を投げ出すなんて、ぜったいしたくないぜ」
 本当に野草がオレと戦いたかったのか、確信はなかったのだけど、オレには野草が片桐を作った理由を他に思いつくことができなかったんだ。どこかぼんやりと儚い野草は、葛城達也の腕の中で少し身じろぎした。そして、ともすれば聞き逃してしまいそうな細い声で、そう言ったんだ。
「本当に……? 巳神君は、あたしと戦ってくれるの……?」
 野草からその言葉を引き出せたから、オレはこの葛城達也との戦いに勝機が見えた気がした。