蜘蛛の旋律・123
「薫、聞きたくねえなら聞く必要はねえぞ。もうすぐお前は死ねる。煩わしい現実から逃げられるんだ」
 葛城達也が茶々を入れてきたけど、オレはかまわず話し続けた。
「現実世界はぜんぶ許してるんだ。野草の存在も、野草の小説も。どんなに風景を変えたって、どんなキャラクターを作ったって、上位世界はそのたびにお前の下位世界の影響を受け入れてきた。オレたち人間だってそうだ。お前が変えた風景を現実のものとして生活してきたんだ。これからお前の下位世界がどれだけ風景を変えても、オレたちはぜんぶ受け入れるだろう。なあ、野草、オレはお前の書く小説が本当に好きなんだ。風景なんかどんなに変わってもいい。キャラクターの分だけ日本の人口や会社が増えたってかまわねえよ。お前が死んで、お前の小説が読めなくなるくらいなら、世界が変わることくらいオレが許していくよ」
 このときオレは、自分が今まで思ってきたこと、今自分が思っていることを、嘘偽りなく正直に野草に話していた。オレは本当に野草の小説を好きだったし、小説家黒澤弥生の大ファンだったし、これから先野草の小説が読めなくなるよりは風景の変化を我慢した方がマシだと思った。野草は生きていればぜったいにすごい小説家になる。オレはたまたま野草の部活仲間だったけど、これから野草が書く小説を待っている読者は、未来にたくさんいるはずなんだ。
「誰かが何か言っても、オレが味方になる。今までオレはお前のこと知ろうともしなかったけど、だからオレのこと信じられないかもしれないけど、今はオレ、お前のことをもっと知りたいと思ってる。……オレと、本屋に行きたいと思ってくれたんだろ? これから先また何度だって行ける。まだお前の好きな作家が誰なのかも聞いてなかったよな。お前が好きだと思ってることも、嫌いだと思うこともぜんぶ、オレに教えてくれないか?」
 野草が身じろぎをして、口の中で呟くような小さな声で言った。もちろん部屋の中にいたすべての人間にその声は届いていた。シーラはオレを見て必死で首を振り、葛城は満足そうに野草を抱き寄せる。
「巳神君が嫌い」
 野草のその言葉が意外だとは、オレは思わなかった。