蜘蛛の旋律・122
 野草が何を考えているのか、今のオレにはまったく判らなかった。野草は何も語ろうとはしない。だけど、世界の崩壊は既にすぐ傍まで迫っていたから、野草が語り始める時間を待つだけの余裕はオレたちにはなかった。
 野草の様子を注意深く観察しながら、オレは野草の背中に話し掛けた。
「なあ、野草。オレ、お前の短編が書き上がるたびに、真っ先に読んでお前と話したよな。最初に読んだのは確かトリスとかいうロボットの話だった。オレはあの時からずっとお前のファンを自認してるんだ。シーラの話を読んでからは、オレはお前の大ファンになった。シーラもタケシも、その他の登場人物もすごい臨場感で、どこかで生きてたとしてもぜんぜん違和感がなくて、むしろ本当に生きてなけりゃおかしいくらいに思ってた。あの時も伝えたよな。オレはほんとに物語の中に入り込んで、本気でタケシに嫉妬してたんだ。オレは今までもたくさんの小説を読んだけど、あの臨場感だけは、どんなプロの作家にもぜんぜん遜色ないと思ってたんだ」
 野草は葛城達也にしがみついたまま、まったく反応を見せない。葛城達也はぜったいに野草を眠らせないだろう確信があったから、オレは自分のその確信を信じて、野草に話し続けていた。
「オレは最初にこの小説の世界に迷い込んだ時は、お前のキャラが実体化するなんで嘘だと思った。だけど、黒澤に証明された時からは、そうあるのが当然なんだって、むしろそんな風に思えるんだ。お前の小説がこれだけ生き生きしてるのに、その世界がどこにも存在しないなんて嘘だ、って。人間の下位世界が現実世界に影響を与えているのはごく普通のことだろ? お前の小説の世界が現実に影響を与えたって、世界はすべてを受け入れて、お前がそれを悩んだり苦しんだりする必要はないんだ。
 お前のキャラクターもお前が描写した風景も、世界はすべて受け入れて許してる。そうあることを知らないのは人間だけだ。その世界の仕組みを、お前が自分で許していけばいいんじゃないのか? 野草、お前だけが特別なんじゃない。だけどお前は、世界をこれだけ変えることができるくらい、特別な小説を書くこともできるすごい人間でもあるんだ」
 野草はオレの言葉を聞いていた。その証拠に、葛城達也にしがみつく腕に徐々に力を入れていったのだ。