蜘蛛の旋律・120
 たぶん葛城達也はオレの心を読んでいて、オレが持っている自信の根拠も、オレがなにを狙っているのかも、すべて読み取っていたことだろう。覗き込むようにオレを見つめ、微笑さえ浮かべた葛城は、綺麗なのだけどすごく無気味に思えた。オレには時間がない。虚無は既に校舎近くまで迫っているのだろう。もう窓の外を見て確かめている余裕はなかったけれど、それほど遠くない未来にこの校舎ごと塵と化してしまうことは間違いないのだ。
 早く野草を目覚めさせなければならない。見えない虚無に急かされていたのだけど、オレはできるだけ落ち着くように自分に言い聞かせて、最大の敵、葛城達也に対峙した。
「薫はお前を選ばねえよ。お前の言葉なんか聞かねえさ、偽善者巳神信市の言葉なんかな。……薫には俺しかいねえ。薫を本当に理解できるのはこの俺だけなんだよ」
「本気でそう信じてるならオレと戦えるはずだ。葛城、あんたは不安なんだ。もしかしたら野草がオレを選ぶかもしれないから、不安で、野草を目覚めさせることができないんだ。お前は野草に見捨てられるのが怖いんだ。野草が、下位世界のお前よりも現実世界のオレを選ぶのが」
 葛城はオレから目をそらして、低く笑った。感覚にチクチク触るような笑い声。まるで、人が一番不快に思う音の波長をあらかじめ知っていて、それに合わせて声を出しているようだ。恐怖はないけど嫌悪があった。
「クックックッ……。巳神信市、お前は何にも判ってねえな。薫は端から現実に期待なんかしてねえんだよ。薫が書く小説は薫にすべてを与えてくれた。理想の友達も、理想の恋人も、理想の父親もな。薫はこの世界だけで満足してたんだ。現実になんか何の興味もなかったのさ」
「それは違うぞ葛城! 野草はオレたちに小説を読ませてくれたじゃないか。野草は小説を通じて、現実世界と関わろうとしてたんだ!」
「そいつはまた、笑っちまう勘違いだな。……ま、いいさ。そこまで馬鹿をさらしたご褒美に、薫と話をさせてやるよ」
 葛城がそう口にして数秒後。
 野草は、目を覚ました。