蜘蛛の旋律・118
 野草は葛城達也の腕の中にいて、胸に顔を埋め、表情は見えなかった。制服を着たままの野草を葛城達也が抱きしめている。姿は既に27歳まで成長していて、あの時アフルに追いかけられていた子供の面影は微塵もない。
 片桐は廊下側の壁際に立っていた。オレが振り返ってももうオレを見ようとはせずに、視線は葛城達也に抱きしめられた野草の上に固定されていた。
 オレは野草に近づいていった。ゆかに膝をつけて、野草に触れようと手を伸ばす。その手は見えない何かに弾かれていた。
「挨拶くらいしたらどうだ。ノックもしねえでいきなり入ってきてオレの女に触るんじゃねえよ」
 葛城達也はそう言って、オレにゾッとするような笑みを向けた。……誰をも惹きつける美貌の、絶大な力を持った超能力者。野草のキャラクターの中でこの男に敵う人間はいないだろう。もちろんオレだって敵わない。もしもこいつがオレを殺そうとしたなら、あっという間に殺されてしまうことだろう。
「野草、聞こえてるか? 巳神信市だ。お前と同じ文芸部の」
 野草に反応はなかった。ここに来さえすれば野草と話すことが出来ると思ってたオレは、思惑が外れて焦りが出始めていた。
「無駄だ。薫はもう何も見たくねえんだ。俺と一緒に死ぬことだけ考えてるのさ。もう少しで薫は死ねるんだ。判ったらさっさと出て行けよ」
「野草と話をさせてくれ。オレは野草を救いたい。あんただって、野草が生きてる方がいいんじゃないのか?」
 そのとき、ジリジリしながらオレたちを見守っていただろうシーラが、野草に駆け寄ってきていきなり身体をゆすり始めたのだ。
「薫! お願い起きてよ! 巳神がきてるんだよ。巳神が、薫と話したいって言ってるんだよ!」
 野草は一瞬ピクリと動いたように見えた。だけど、その瞬間、葛城達也の見えない手が、シーラをテーブルに跳ね飛ばしたのだ。
「シーラ!」
 テーブルの足に背中を打ち付けたシーラは、それでも心配ないという風にオレに手を上げて見せた。オレは再び野草を振り返る。野草はシーラの乱暴な扱いにも目覚めた様子はなかった。