蜘蛛の旋律・98
 最初にこの男に会った時の恐怖を、オレは忘れてはいない。
 オレにそっくりな顔と、姿と、声と癖を持っていた。野草がオレをモデルに作り上げたキャラクター。初めて野草の病室で会ったとき、こいつは野草の首に手をかけ、殺そうとしていた。シーラが間違えるほどオレによく似た、片桐信という名前の男だった。
 近づいてくる片桐からオレは目が離せなかった。……たいしたことじゃない。こいつだって野草のキャラクターで、今ここにいる4人と何ひとつ変わらない。超能力者でもない。普通の恋愛小説の登場人物で、オレと同じ高校2年生だ。
 オレがこいつを恐れる気持ちはいったいどこからくるのか。こいつの物語を、オレが知らないからか? 普通の出会いなら初対面で相手のことなんか判らない。オレがこいつを恐れる必要なんて、まったくないんだ。
 近づいてきた片桐信は、オレを見て憎しみを表情にした。そして、ひと通りオレたちを見回したあと、武士に向かって言った。
「薫に近づかないでくれないか」
 言葉はオレが想像したよりもはるかに穏やかで、恐怖を感じていた分、オレは拍子抜けしてしまっていた。
「折衝にきたのか。……あいにくだが、そういう訳にはいかねえよ。俺はまだ世界を失いたくねえ」
「薫はもう誰にも会いたくないんだ。静かに、自分が死ぬ時を待ちたいと思ってる。死に向かって穏やかな気持ちでいる人間をわざわざ乱す必要はないだろ。黙って逝かせてやってくれないか」
 武士に向かって話す片桐は、オレに見せたような憎しみは微塵もなくて、むしろ悲しみを多く宿したような表情をしていた。……たぶん、シーラが言ってた通りなんだ。片桐も野草のことを愛していて、野草の希望をかなえてやりたいと思ってる。野草が死にたいのなら静かに死なせてやりたいと思ってる。ここにいる4人のキャラとまったく同じなんだ。片方は生きる希望を持たせようとし、片方は死を守ろうとしている。
 野草が本当に望んでいるのは、いったいどちらなのだろう。それとも、野草自身、今戦っているところなのかもしれない。
 このキャラクター達の戦いは、そのまま野草の心の戦いなのかもしれない。