蜘蛛の旋律・95
 巫女のたとえ話で、オレは巫女が持つ「運命の守り手」という役割の意味を、ほんの少しだけ理解した気がした。
「今のオレには教えないことの方が大切なんだな?」
「人の運命はね、知らなくていい場合の方が遥かに多いんだ。私にはすべてが見えるけど、悪い運命を人に教えることなんてほとんどできないよ。見えなければいいのにと思ったこともある。……薫はいったい、何を思って私を作ったんだろうね。薫は何が見たかったのかな」
 最後の方はほとんど独白のようで、オレは黙って聞いていることしかできなかった。「地這いの一族」という小説の中には、巫女の悲しみや2人の弟に対する愛情が切々とつづられていた。野草には運命を見ることの切なさも理解できていたのだろう。もしかしたら、巫女というキャラクターを通して、初めて理解したのかもしれない。
 そうか、作者は小説を書くことで、キャラクターと一緒に成長することができるんだ。巫女を理解しようとすることで、野草は様々なことを知ったのだろう。運命の意味も、それを守ることの大切さも、守り手の苦しみや悲しみも。
 今の野草はたぶん巫女と同じだ。自分の小説が風景を変え、歴史を変え、人の運命を変えている。たぶん野草は巫女と同じように苦しんでいる。だとしたら、巫女がこの苦しみから逃れる方法を見つけたら、それを野草に伝えることができたら、野草の自殺願望を消すこともできるんじゃないだろうか。
「巫女、君はその苦しみを乗り越えることはできない?」
 オレの口調が変わったからだろう。巫女はちょっと驚いたようにオレを見つめた。
「人の運命を変える自分を正当化する理由は見つけられないのか? 誰のためとか、誰のせいとか、そういうんじゃなくて、ここに自分が存在するのが一番正しいことなんだ、って、そう思うことはできないのか?」
 野草に作られ、野草に育まれたキャラクター。野草と一緒に成長してきたキャラ。すべてのキャラは野草の心の中に存在する。だから、野草よりも進んだ考えをもつことはできない。
 オレが巫女に要求していたのは、キャラクターが作者を超えるという、ほとんど不可能だと思えることだった。