蜘蛛の旋律・92
 2階の窓からは、シーラがバイクに乗って走り去る姿を見ることができた。おそらく一足先に沼南高校に向かったのだろう。できるだけ早く追いかけなければならないと思うのだけれど、残されたオレたちにはまだ考えなければならないことがあった。
 ベッドに眠ったままのタケシ。シーラはここに置いてゆくように言った。だけど、本当にそれでいいのか? シーラは本当に、タケシが消えてしまうことを望んでいるというのか?
 シーラを見送ったあと、オレはほかの3人を振り返った。武士はタケシの枕元で見下ろしていた。自分によく似たキャラクターを、彼はいったいどう思っているのだろう。
「武士、本当にタケシをここに置いて行くのか?」
 武士はタケシを見下ろしたまま、オレの問いに答えるでもなく、言った。
「あの女は判ってねえな。……惚れた女のためだったら、たとえどんな悲しい記憶だってぜんぶ受け止めるだろう。一番悔しい思いをしているのはこいつだ。……もしも俺がこいつだったら、心の中で記憶を戻してくれって叫んでるだろう。あの女を守りたい、あの女の苦しみをぜんぶ俺が背負ってやる、って」
 ……たぶん、武士の言う通りだと思う。タケシは小説の中で、いつもシーラを守ろうとしてきた。守れない自分を一番悔しいと思ってるのはタケシだ。そんな武士の独白に答えたのはアフルだった。
「そうは言うけどね。もしも僕がタケシの記憶を戻したら、たぶんシーラに恨まれるよ。シーラは僕のことをあまりよく思っていないようだしね」
「戻そうと思えば戻せるのか?」
「少し時間はかかるけど、何とかなると思うよ。僕は別の小説で人の記憶を戻したことがあるから。薫の人物設定ではその能力があることになってるんだ」
 もしもタケシの記憶を戻せば、オレたちはかなり強力な味方を得ることになる。だけどオレは、できることならタケシとシーラのツーショットなんか見たくはなかった。