蜘蛛の旋律・86
 オレは卑怯者だ。
 タケシの自我が生まれれば、シーラは完全にタケシのものになる。オレは、そんな2人を見たくはなかった。いつまでもこうしてシーラと話していたかった。
 シーラが本当に望んでいるのは、タケシに自我が生まれて、心に秘めてきた想いを告白することだったのに。
「……どうしたの? 何かあたしに言おうとしたんじゃないの?」
 オレが黙ってしまったから、シーラは少し不安そうな表情でオレを見上げた。シーラは、たとえどんな表情をしても、その目の美しさで人を惹きつける魅力を持っている。
「ごめん。オレ、これは君に言いたくない」
 シーラはずいぶん驚いたようだった。
「……どうして? 何かひらめいたんじゃないの? それって薫を助けるために役立つことじゃないの?」
「野草を助ける役に立つかどうかは判らない。それよりも、これを言ったら、君はもうオレを見てくれなくなる」
 シーラはしばらく驚いたようにオレを見上げていたけれど、やがて表情を変えて、微笑んだ。
 オレの心臓が高鳴る。……たぶんシーラはオレの言葉を理解したんだろう。立ち尽くしたオレに、バイクを避けるように近づいてきた。そして、さりげなくスタンドを立てる。バイクから手を離したオレの、頬に触れた。
「見てるよ、ちゃんと……」
 髪に指を絡めて近づいてくる。少し屈んだオレの唇に、シーラの唇が重なった。
 シーラのキスはどこか秘密めいていて、オレはほんの少しだけ罪の意識を感じた。
 唇が離れた時、シーラは少しいたずらっぽい目をして、オレに言った。
「どうしてキスしたのか、判る?」
「……君のすることはいつもよく判らないよ」
「この小説がハッピーエンドになったら、たぶん判るよ」
 これが、オレのファーストキスだった。