蜘蛛の旋律・71
 それまでまったく気配のなかった野草の下位世界。灰色の風景は無音で、なのにその時、異様な音がオレの鼓膜に届いてきたのだ。低く響くような、まるで何か生き物の咆哮のような音。それはだんだん近づいてくる。オレはアフルと顔を見合わせて、音のする方角を見つめていた。
 空に開いた巨大な破れ目から聞こえてくる。ややあって、破れ目に姿を現わしたのは巨大な生き物だったのだ。
「ウオーン!」
 一声鳴いてギロリとこちらを伺う。破れ目を乗り越えるようにこちらにやってくる。いきなり灰色の世界に現われたのは、パステルカラーの不思議な色合いをした、まるで童話の中に出てくるようなドラゴンだったのである。
 オレは魅せられたかのように動くことができなかった。ドラゴンは空中を舞いながらオレたちに近づいてくる。怖かったのだけど……それよりも感動の方がはるかに大きかった。キラキラと色を変えるウロコは神秘的なまでに美しくて、オレに逃げることを忘れさせた。隣に立っていたアフルもどうやら同じことを感じていたらしい。あまりに綺麗過ぎて、もしも襲われて命を失うのだとしても、その寸前まで目を離したくないと思ってしまっていたのだ。
 ドラゴンは、オレとアフルを襲いはしなかった。寸前で近づくのを止めて地上に降りてくる。周りの建物の屋根よりもはるかに高いところにドラゴンの顔はあった。その顔は、どこかやさしい雰囲気を醸し出していた。
「……巫女、君も来てくれたんだね」
 オレの隣でアフルが言った。驚いて更にドラゴンを凝視する。まさか、このドラゴンが巫女なのか? 巫女の外見は普通の20歳の女性で、オレが読んだ「地這いの一族」という小説にはそんな設定はなかったはずだ。野草の下位世界にいるのだから、このドラゴンも野草のキャラクターには間違いないのだろうけれど。
 オレが訳の判らない出来事に必死で解釈をつけていると、上空から女性の声が響いてきた。
「遅くなって悪かったね。これでもできる限り早い方法を使ったつもりなんだけど」
 そうして、頭を下げたドラゴンの背中から下りてきたのは、巫女の衣装をまとった1人の女性と、強靭な肉体を持った1人の男だったのである。