蜘蛛の旋律・68
 もしも、野草の前に現われた最初のキャラクターがアフルだったら、結果は違っていたかもしれない。
 それとも、誰が最初であろうと、最終的には野草は葛城達也の言うことをすべて信じたのだろうか。
「……それで、葛城達也が本屋を爆発させて、野草を殺そうとしたのか」
 そう口にしてから、この一見筋が通っている風に見える理屈にも、大きな矛盾があることに気が付いていた。
 なぜなら、野草があの小説を完成させたのは、今から1ヶ月も前だったんだ。その時に野草が死にたいと本気で思ったのならば、すぐに葛城達也に殺してもらうことだってできただろう。葛城達也は人の命の重さを感じない冷徹な超能力者だ。野草を苦しめずに殺すことだってできたんじゃないだろうか。
 そりゃあ、野草はまだ高校生で、夢や希望もたぶんたくさんあって、将来書きたい小説も山ほどあっただろう。プロの小説家になりたいと思ってたかもしれない。でも、野草が小説を書くことは現実を小説の通りに塗り替えてしまうことで、それが野草の自殺願望の元凶なのだとしたら、野草が生きることは苦しみを生み出す以外に何もないんだ。できるだけ早くこの苦しみから逃れようとするのが当然なんじゃないだろうか。
 それとも、野草にはまだ、現実に未練があったのだろうか。書き続けることで生まれる苦しみをも凌ぐほどの、大きな未練が。
 もしかしたら、それを探ることは、野草を救うことに繋がるのかもしれない。
 アフルはどうやらオレの表層意識を読み取っているようだった。だけど何も言わずに運転を続けている。僅かに苦味の含まれた笑顔を頬に貼り付けたまま。
 オレが話し掛けようとする気配を感じたのか、それをさえぎるようにアフルは言った。
「そろそろ左側に見えてくるよ。あの家が薫の友達の家、小説の中では主人公の親友の家だ。……ここから先が、薫の下位世界には存在しない風景になる」
 オレにはアフルが言ったその家を特定することができなかったけれど、次の信号を通り過ぎた時、風景は明らかに変貌を見せ始めたのだ。