蜘蛛の旋律・67
「僕は、薫に会えなかった。薫は近くの高校に通っていて、自転車で20分も走れば簡単に会うことができる。どんな想いで僕という人間を創造したのか、あるいは僕の未来はどうなるのか、それを確かめることができる。自分の運命、宿命、すべてを知ることができる。……本当に怖かったよ。僕の運命を握っている人がいるっていう事実はね。だけどもしかしたら、あの時薫を訪ねていれば、薫の運命は違っていたかもしれない」
 アフルは自分がアクセルを踏み込んでいることに気付いていないように見えた。
「それはどういう意味だ? 野草が事故に遭わなかったかもしれないのか?」
「僕は会いに行けなかった。だけど、葛城達也は行ったんだ。新都市交通がモノレールに変わって、高校の名前が変わって、地形も街並みもすべて変わってしまった事に絶望した、薫のところに。病院で眠る薫に手を触れた時、何が起こったのか、知ることができたよ。薫の心は既にあの身体の中にはなかったけど、薫の記憶は身体に残されてた。……書き上がったばかりの小説を文芸部の仲間に渡して、風景の変化に気付いたのは学校からの帰り道だった。訳が判らなくて、自宅に戻って布団をかぶったまま薫は心の中で呼びつづけた。『達也、どうしたらいい?』って。 ―― 傷ついた時の癖だったんだ。まさか、本当に葛城達也が実在していて、この呼びかけに応じてくれるなんて、薫は思ってもみなかったんだ」
 オレは覚えている。野草があの長編小説を持ってきた1ヶ月前、完徹した時のように憔悴していて、だけどあまり変化の現われないその表情にも、達成感のようなものが浮かんでいたんだ。
「葛城達也が、野草に死ねって言ったのか?」
 奴なら言いかねない。人の命の重さを理解することのない葛城達也ならば。
「それに近いことをね。葛城達也は、『薫を殺してやる』って言ったんだ。世界を元に戻すためにはそれしかない、って」